’50年代、巨人5連覇に貢献した強打の捕手 藤尾茂

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     藤尾茂(ふじお・しげる)
    1934年生まれ
    読売ジャイアンツ(1953〜’65年)



    1953年に鳴尾高校から巨人入りした藤尾は、入団一年目から捕手として一軍ベンチ入り、’56年にはレギュラー捕手に定着し主に5番を打った。’59年には森昌彦の台頭で、外野手としての出場が多くなるが、’61年にはまた捕手に戻った。しかし、以降は森の控え捕手という立場に甘んじた。
    最高成績は、打率は’58年の.283、本塁打は’60年の15本、打点は’59年に挙げた70打点となかなかの強打ぶり。さらに捕手としては俊足で、二桁盗塁は3シーズンあり通算でも67個の盗塁を記録している。
    ビルマで戦死した巨人軍歴代最高の捕手といわれた吉原正嘉をダブらせて「吉原二世」と呼ばれたそうだが、私の知っている選手でいうと’80年代中日で活躍した中尾孝義が、記録から察するに似たタイプだったのかな。



    あれっ? なんか左手の親指がミットに収まってないように見えるんだが……。右手は突き指しないよう、しっかり閉じてます。今のキャッチャーは背中の後に隠すけどね。



    これは版ズレが酷い……。しかも顔のど真ん中にキズが。男前が台無しです。

    というわけで、本日10月28日は藤尾茂77歳の誕生日です。


    黎明期を支えた史上最初の300勝投手 スタルヒン

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      ヴィクトル・スタルヒン(Victor Starffin)
      1916年生まれ
      大日本東京野球倶楽部 - 東京巨人軍(1934~’44年)/パシフィック - 太陽ロビンス(’46~’47年)/金星スターズ - 大映スターズ(’48〜’53年)/高橋ユニオンズ(’54~’55年)
      1957年没(40歳)
      1960年野球殿堂入り



      1925年スタルヒン9歳、ロシア革命のときに一家で日本に亡命、無国籍の「白系ロシア人」として過ごすこととなる。
      旧制旭川中学3年の時に中退して全日本チームに加わり、そのまま後身の東京巨人軍に入団。同学年の沢村栄治とともに黎明期のプロ野球を支えた。

      ’39年には日本記録のシーズン42勝(後に稲尾和久も42勝をあげる)。この年史上初の通算100勝を達成。しかも165試合目で達成という史上最速記録。
      ’40年には戦時下で「須田博(すだ・ひろし)」と改名させられる。戦争が激化した’44年、巨人軍は「敵性人種」とされたスタルヒンを球界から追放した。

      ’46年にプロ野球が再開されると、巨人軍の誘いを断り藤本定義率いるパシフィックに入団。この年史上初の通算200勝達成。’55年には高橋ユニオンズで、これも史上初の通算300勝を達成し、同年引退した。

      ’57年、40歳の時に自身が運転する自動車が電車と衝突。即死だった。




      これはイイ顔です。色彩も美しい。おそらく’51〜’53年頃のメンコで、スタルヒン35~36歳頃を描いたものと思われます。



      こちらのダイカット・メンコはユニフォームから察するに’49~’50年のスタルヒン。



      こちらはちょっと残念なスタルヒン。色彩はキレイなのですが表情がどうも……。ただ「Sutaruhin」のローマ字表記はイカス!



      ’49年オドール監督率いるサンフランシスコ・シールズが来日。オール日本と7戦行い、シールズの全勝だった。中日・西沢、大阪・別当、シールズの選手とのアンカット版。

      というわけで、10月20日は1946年にパシフィックのスタルヒンが史上初の通算200勝を達成した日でありました。スタルヒンはその後’55年まで投げ、通算303勝を挙げた。

      史上初の両リーグ首位打者 江藤慎一

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        江藤慎一(えとう・しんいち)
        1937年生まれ
        中日ドラゴンズ(1959〜’69年)/ロッテオリオンズ(’70〜’71年)/大洋ホエールズ(’72〜’74年)/太平洋クラブライオンズ(’75年)/ロッテオリオンズ(’76年)
        2008年没(70歳)
        2010年野球殿堂入り




        今シーズン、ソフトバンク・内川聖一が史上人目のセ・パ両リーグでの首位打者を獲得することが確定した。
        今から遡ること40年前の1971年、ロッテの江藤慎一が中日時代の2度の首位打者に続き、パ・リーグでも首位打者に。両リーグでの獲得はこれが史上初であった。

        江藤は入団1年目から6年連続で全試合出場、3年目からは中日の不動の4番打者に。’64、’65年には2年連続で2位の王貞治を抑え首位打者に輝き、両年とも本塁打、打点でタイトルを獲った王貞治の三冠王を阻止した。



        江藤は入団と同時に一塁、外野手にコンバートされているが、'63年までの5年間捕手も務めた。



        このメンコの写真、アンダーシャツがえび茶色で彩色されているが、モノクロ写真に着色されたものなので実際の色はわからない。中日がえび茶色のアンダーシャツだったのは’60,’61年の2年間。ただ、そのときのユニフォームは袖にラインが入っていて、胸マーク、帽子もえび茶色だった。帽子のマークもそのときのものではないので、想像するに’56~’59年に使用されていたユニフォームではなかろうか。となると、実際のアンダーシャツノ色は紺色ということになる。’59年、江藤慎一が新人の年のルーキー・カードの可能性大。

        ということで、10月16日は江藤慎一が1937年に生まれた日でありました。




        元スポーツ選手キャスターの先駆け 佐々木信也

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          佐々木信也(ささき・しんや)
          1933年生まれ
          高橋ユニオンズ(1956年)/大映ユニオンズ(’57年)/大毎オリオンズ(’58〜’59年)



          「プロ野球ニュース」が始まったのは私が中学1年のとき。画期的でした。
          この番組で初めて動いている姿を見たパ・リーグの選手も数多くいたもんです。
          その「プロ野球ニュース」のキャスターを長年務めた佐々木信也は、慶応義塾大学から3年間でいちども勝率4割を超えられなかった弱小チーム、高橋ユニオンズの最終年に入団。この高橋ユニオンズは観客動員数もダントツで少なく、3年間の観客動員数が巨人ー阪神戦の9試合分くらいしかなかったとか。草野球並みです。

          先日白夜書房から長谷川 晶一/著最弱球団 高橋ユニオンズ青春記 」が刊行された。
          本来ならこのブログを書く前に読んでおかねばならなかったんですが、まだ読みかけの本が溜まっていてページを開けていません……。一気に読めそうなんで今週末に読むことにしよう。




          このメンコは高橋ユニオンズ解散後の大映ユニオンズ時代、佐々木信也24歳のころ。



          ありました! 佐々木信也のルーキーカード! これが1956年の高橋ユニオンズのホーム・ユニフォームです。黒の文字に山吹色の縁取り、帽子とアンダーシャツは黒でストッキングはあずき色と山吹色のツー・トーン。


          というわけで、先週10月12日は佐々木信也78歳の誕生日でありました。

          「1試合で満塁本塁打2本!」飯島滋弥

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             飯島滋弥(いいじま・しげや)
            1918年生まれ
            セネタース - 東急フライヤーズ - 急映フライヤーズ(1946〜’48年)/大映スターズ(’49~’54年)/南海ホークス(’55年)
            1970年没(51歳)



            主に一塁と外野を守り、ベストナイン3回、首位打者1回の大映スターズ主軸打者であった飯島滋弥。

            ’55年に引退しておりますので、’60年代生まれの私はもちろん見たことがないわけですが、資料を調べてみると恐ろしい記録が!
            大映スターズ時代の1951年10月5日対阪急戦で初回に満塁本塁打を放つと、
            7回に満塁本塁打と3ランの1イニング2本塁打、計3本塁打で、1試合2本の満塁本塁打(日本記録)! 1試合11打点(日本記録)! 1イニング7打点(日本記録)! 凄すぎます!!

            1試合2本の満塁本塁打は、2006年に巨人・二岡智宏が2打席連続で打つまで54年5ヶ月間、達成者はいなかったらしいが、二岡が2打席連続で満塁本塁打を打った記憶が蘇らない……。そうか、この日の二岡も計3本塁打、打点は惜しくも飯島に及ばず10打点、って、二岡も凄いな。改めて。



            スターズの胸のロゴ、微妙なバランスで……なんか魅かれる。



            このユニフォームはおそらく’49~’50年のもの。モノクロ写真に着色してあるのでこの色は正確ではないが、帽子は赤、アンダーシャツは紺、赤、白の使い回し、ベルトは実際は茶色で、ストッキングは白に赤のライン。当時としては派手で格好イイ! しかし、選手たちの間では「派手で恥ずかしい」との声が多数だったらしい。



            このメンコは’48年の1年だけ存在したチーム「急映」となっているので、その年のモノかと。貴重かな? そうでもないか。


            というわけで、10月11日は1918年に飯島滋弥が生まれた日でありました。

            西鉄黄金時代の五番打者 関口清治

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               関口清治(せきぐち・せいじ)※本名は「きよはる」

              1925年生まれ
              読売ジャイアンツ(1948年)/西日本パイレーツ(’50年)/西鉄ライオンズ(’51〜’61年)/阪急ブレーブス(’62〜’63年)
              2007年没(81歳)



              台湾出身の関口は、台北工業時代の1942年に甲子園で行われた全国中等学校野球大会に出場している。この大会は戦時下で前年中止になっていた甲子園大会を、朝日新聞ではなく文部省が主催して行われた大会で、別名「幻の甲子園」と呼ばれている。
              この大会の様子は、文藝春秋発行の「〜昭和十七年の夏〜 幻の甲子園 〜戦時下の球児たち〜」(早坂隆/著)に詳しく描かれているが、そこには以下のような記述が

              >
               「関口は性格も豪快でしたが、打撃もそのまんま。とても豪快でした。ただ、カーブには弱かったんですがね」
               関口と言えば、戦後のプロ野球では「カーブ打ちの名人」と言われた人物である。その関口が中等学校時代は「カーブに弱かった」という。当時のチームメイトからの貴重な証言である。
              >

              そうだったのか。どこで開眼したんだろ?

              あと、ジャイアンツにテスト入団して、肩を壊して1年で退団。社会人経由でプロ野球に戻ってきたことも今回初めて知りました。



              あ、赤瀬川準の『獅子たちの曳光〜西鉄ライオンズ銘々伝』に「カーブ打ちは偶然コツを掴んだものだから、教えることが出来ない」って記述があるようだ。いったい何時何処で掴んだ?!



              私の記憶は近鉄のコーチ、監督の関口。そしてプロ野球ニュースにも出ていたような……。


              これは上と同じ写真を使ったメンコだが、こちらはタイガース時代の田宮謙次郎とのツー・ショット。アンカット版です。


              そんなわけで、10月9日は関口清治が1925年に生まれた日でありました。

              「ホークスを支えたサイドスロー」杉浦忠

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                杉浦忠(すぎうら・ただし)
                1935年生まれ
                南海ホークス(1958~’70年)
                1995年野球殿堂入り
                2001年没(66歳)



                後年は右腕の血行障害で200勝はならなかったが、ホークス一筋で通算187勝を挙げた。

                入団から7年連続二ケタ勝利、そのうち20勝以上が5回、30勝以上も2回と圧巻!
                入団1年目は27勝12敗、防御率2.05で新人王。翌2年目はさらに凄く、38勝4敗と勝率はなんと.905! 防御率も1.40でMVP。さらにこの年の日本シリーズでは伝説となった4連投4連勝の大活躍で、立教大の同級生長嶋が主軸を打つ巨人を一蹴、シリーズのMVPにも輝いた。


                子どものころは野球選手としては冴えないメガネ姿だと思っていたが、今あらためて見るとお洒落じゃぁないか。


                 
                アンカットメンコに収められた一枚。前を走らされているのは若き日のノムさん(おそらく)。



                「ケンカ八郎」こと東映フライヤーズ・山本八郎とのツーショットメンコ。この二人を組み合わせた理由がわからん。





                杉浦の美しいフォームがよくわかるメンコはなかなか無いんですな。どれも振りかぶったところやポーズをつくっているものばかり。その中でもこの2枚はフォームが想像しやすい方かな。


                というわけで、今月17日は杉浦忠が1935年に生まれた日でありました。


                「フォオークボールの神様」杉下茂

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                  杉下茂(すぎした・しげる)
                  1925年生まれ
                  中日ドラゴンズ/名古屋ドラゴンズ/中日ドラゴンズ(1949~’58年)ー 大毎オリオンズ(’61年)
                  1985年野球殿堂入り





                  最多勝2回、沢村賞3回、通算215勝の’50年代ドラゴンズの大エース。揺れて落ちるナックルボールに近い動きをするフォークボールが特徴だった日本初のフォークボーラー。その後、村山実、村田兆治、野茂英雄、佐々木主浩らへと日本のフォークボーラーの系譜は受け継がれていくが、現在86歳になっても指導への情熱は衰えず、春季キャンプでは各チームを廻り次世代の投手育成に余念が無い。脱帽。
                  東海地区では中日スポーツ紙上での連載中のコラム『伝える』を楽しみにしているファンも多いことでしょう。



                  児玉泰投手とのツー・ショット。杉下がドラゴンズに在籍したのが現役として'58年までと監督として'59、'60年で、児玉の姓は’57年まで空谷だったところから、このメンコは'58~’60年のものではないかと。


                    
                  別当、大下、川上、杉下、小鶴、西沢! う〜ん、ワクワクするラインナップでまとめられたアンカットのメンコ。



                  このメンコは、イラストのタッチ、カラーともに素晴らしい! 私がもっとも気に入っている一枚です。

                  というわけで、今月17日は杉下茂86歳の誕生日でした。



                  巨人軍史上最高の遊撃手? 平井三郎

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                     平井三郎(ひらい・さぶろう)
                    1923年生まれ
                    阪急ブレーブス(1948〜’49年)/西日本パイレーツ(’50年)/読売ジャイアンツ(1951〜’57年)
                    1969年没(45歳)



                    実はこの平井三郎のことはほとんど知らない。
                    今回調べてみたら、心臓弁膜症のため34歳で引退しているんだな。その後、近鉄、阪神のコーチを経て、名古屋で現役時代の背番号にちなんだ「エイト」という喫茶店を営んでいたそうな。亡くなったときは45歳という若さ。
                    打撃はパイレーツ時代の1950年に一度だけ3割を超えているが、特に目立った数字は残っていない。しかし、ジャイアンツでは広岡達朗が入団するまでレギュラーで、3年連続遊撃手のベストナイン選出とオールスター出場を果たしているからこの時代を代表する選手だったことは間違いない。
                    水原茂は’76年当時にジャイアンツのベストナインを選んだ際、遊撃手は平井を選んでいたそうである。


                    167cmの身長といい、この打撃フォーム画像からはあまりパワーは感じられない。でも、調べてみると’53年は11本塁打なんだな。この年は主にトップバッターとして活躍したようだ。
                    ’53年の日本シリーズでの平井の打撃映像がYouTubeにあったのでペタリ。
                    http://www.youtube.com/watch?v=6hHJvwYsVi4


                    というわけで、先週の話しですが9月4日は平井三郎が1923年に生まれた日でありました。


                    ミスタードラゴンズ 西沢道夫

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                      西沢道夫(にしざわ・みちお)
                      1921年生まれ
                      名古屋軍 - 中部日本軍(1937~’43年、’46年)/ゴールドスター - 金星スターズ(’46~’48年)/中日ドラゴンズ - 名古屋ドラゴンズ - 中日ドラゴンズ(’49〜’58年)
                      1977年野球殿堂入り
                      1977年没(56歳)



                      西沢道夫が名古屋軍に投手として入団したのは、なんと15歳のときというから驚きである。初登板は16歳と4日でプロ野球史上最年少記録。
                      投手としては世界最長の28回を311球完投や、ノーヒットノーランを記録するが、復員後は肩の故障もあり思うような成績が挙げられず、ゴールドスターに移籍し、一塁手に転向した。
                      その後中日に戻り主砲として活躍することに。
                      投手として20勝、打者として40本塁打を記録した選手は日本プロ野球史上ただひとり。まさにミスタードラゴンズである!




                      1950年に46本塁打を記録した西沢(右)であったが、松竹ロビンス・小鶴誠(左)の51本塁打に及ばずタイトルを逃す。このブロマイドは小鶴がスターズに在籍したのが1年だけであることから、本塁打王争いの前年’49年の写真を使用したものとわかる。


                      ドラゴンズ三人衆! 西沢と井上登、それと奥でバットを振るは杉山悟か?



                      もはや名前など要らぬ! ドラゴンズ文字が入っていてバットを振っていれば、それは、ミスタードラゴンズ・西沢道夫なのである!



                      誰って? ドラゴンズのユニフォーム着てバットを振っていれば、それは、ミスタードラゴンズ・西沢道夫に決まっておる!


                      というわけで、ちょっと前のことですが、9月1日は西沢道夫が1921年に生まれた日でありました。



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