1960年代前半の外国人選手メンコ(その1)

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    今回は1960年代前半に活躍した外国人選手のメンコをご紹介。
    ’64年生まれの私には、リアルタイムで記憶のある選手はありませんが、
    この、見たことのないオールド・プレイヤーにノスタルジーをおぼえるというところが
    野球の素晴らしいところであります。

    あ、一部まったく活躍していない選手の貴重なメンコも含まれております。


    まずは南海ホークス史上最高の外国人投手、ジョー・スタンカから。

    1960〜’65南海ー’66年大洋 投手
    100勝72敗 防御率3.00
    ・最優秀勝率 1回(’64年)
    ・MVP 1回(’64年)
    ・ベストナイン 1回(’64年)
    ・日本シリーズ敢闘賞 1回(’61年)
    ・日本シリーズ最優秀投手賞 1回(’64年)
    ・オールスターゲームMVP 1回(’64年)



    スタンカとともに’60年代の南海で活躍したのが5番ファースト、ハドリ。
    ファーストネームは“Kent”で“ケンちゃん”と呼ばれてたそうな。
    64年と’66年の日本シリーズで’サヨナラ本塁打を放っており、日本シリーズでのサヨナラ弾2本はこのハドリただひとり。

    ‘62〜’67南海 一塁
    打率.260 131本塁打 396打点 15盗塁
    ・日本シリーズ優秀選手賞 1回(’64年)



    ’64年1年間だけ南海に在籍したローガン。
    ブリュワーズのレギュラー内野手だったが、来日時の年齢38歳、如何せん歳をとりすぎていたか。

    ’64南海 二・三塁手
    打率.189 7本塁打 23打点 1盗塁



    ’59年に来日し二桁勝利、南海の優勝に貢献したサディナだったが、
    翌年スタンカの入団で先発の座を奪われた。
    引退後はハワイ・マウイ島で剥製造りの職人となったそうな。

    ‘59〜’60南海 投手
    12勝13敗 防御率3.27



    ’63年、バリバリのメジャーリーガーが中日にやってきた。
    巨人キラーの助っ人、マーシャル。

    ’63〜’65中日 一塁手
    打率.268 78本塁打 252打点  11盗塁
    ・オールスターゲームMVP 1回(’64年第2戦)



    ’63年中日のクリーンナップは3番マーシャル、4番江藤で、5番がこの人ニーマン。
    このメガネ、カッコイイなあ。

    ’63中日 外野手
    打率.301 13本塁打 53打点 1盗塁



    「誰だこれ?!」とお思いの方も多いことでしょう。
    この選手は’62年に阪神が呼んできた、プロ経験が無い21歳の若者。
    “秘密兵器”として期待したらしいが、肩を壊し一軍成績無し。
    貴重なメンコです(笑)。

    ’62阪神 投手ー野手転向試みるも打撃は今ひとつだったようであります。



    米軍座間キャンプ勤務を経て阪神のテストを受け入団。
    阪神初の白人系選手であります。

    ‘60〜’63阪神ー’64〜’65東京 外野手
    打率.250 95本塁打 274打点  53盗塁



    万年最下位の近鉄にやってきたのがミケンズ。
    1年目から2年連続で二桁勝利を挙げるも、やはり近鉄は最下位でありました。

    ’59〜’63近鉄 投手
    45勝51敗 防御率2.54



    これまた弱小近鉄に現れた変わった外国人選手。
    来日1年目は本職の捕手で40試合、一塁で62試合に出場するも期待のバッティングはさっぱりで、
    翌年からは強肩を買われ、なんと投手に! 
    その年はリリーフで4勝を挙げるも、翌年は先発で2勝11敗、防御率4.46でジ・エンド。
    ピッチングフォームのメンコも作られたのだろうか? 

    ’59〜’61近鉄 捕手、一塁 投手
    打率.244 9本塁打 51打点  2盗塁
    6勝16敗 防御率3.76



    そんな近鉄でひとり気を吐いたのが、’62、’’63年と二年連続首位打者を獲得したブルーム。
    ’62年の打率.374は近鉄史上最高打率であります。
    しかし、そんなブルームの活躍も焼け石に水。
    ブルームが近鉄在籍中の5年間で、’62年に4位になった他は最下位街道まっしぐらでありました。
    その後南海でも活躍し、こちらでは日本シリーズにも出場しました。

    ’60〜’64近鉄ー’65〜’66南海 二塁手
    打率.315 61本塁打 323打点 27盗塁
    ・首位打者 2回(’62、’63)
    ・最高出塁率 1回(’63)
    ・ベストナイン 2回(’62,’63)
    ・オールスターゲームMVP 1回(’62)


    こんな感じで、今回は’60年代初頭に来日した外国人選手のメンコをご紹介いたしました。
    「あの選手のは無いの?」という方、もうしばらくお待ちください。
    次回も阪急や広島や西鉄や大毎や大洋や東映にいたあの選手のメンコをご紹介しようと思います。
    では。
     

    土橋正幸さん逝く

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      土橋正幸さんが亡くなった。
      1956年から’67年まで東映フライヤーズ一筋。
      '58年から’64年まで7年連続2桁勝利。
      そのうち20勝以上5回、’61年には30勝(16敗)を挙げている。

      通算162勝135敗、防御率2.66


      引退後は日拓(’73)、ヤクルト(’84〜’86)、日本ハム(’92)で監督を務めるも、
      勝ち越したシーズンは一度もなく、5位が3回、最下位2回という結果だった(’73年、’84年シーズン途中で就任)。



       







      '64年生まれの私には現役時代の記憶はなく、
      知っているのは勝てない監督時代のしかめっ面の土橋監督と、
      江戸っ子解説者としての笑顔の土橋さん。



      筋萎縮性側索硬化症(ルー・ゲーリッグ病)で療養中だったとのこと。

      ご冥福をお祈り申し上げます。


      昭和25年の大判カード/スタルヒン・大下・別当・藤村・西沢・藤本

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        またまた久しぶりの更新ですが、今回は1950年(昭和25年)製の大判野球カード。
        これは、雑誌の付録なのか、何かの景品なのか、
        はたまたこれ自体を売っていたのか、定かではありません……。

        いずれにせよ、裏面の文章を見ると、子ども向けに'50年のシーズン前に作られたもののようであります。

        大きさは15僉10.5僂らいで、ものによって大きさが1儷瓩小さかったり、
        縦横が直角じゃなかったり良い味醸し出してます。
        60年以上前のものとしては非常にきれいな状態です。


        1950年というと、セ・パ2リーグ制になった年で、
        このころはメンコやカードが非常に多く作られていた時期です。








        スタルヒン投手(大映=スターズ)
        このとき34歳、前年'49年は27勝17敗で最多勝、通算では252勝を挙げており、
        このカード裏面の文章も「ことしもすごいピッチングがみられるでしょう。」
        と締められています。
        実際は11勝15敗と負け越し、“すごいピッチング”とはいかなかったようであります。







        西沢内野手(中日=ドラゴンズ)
        復員した’46年途中に金星に移籍していた西沢でしたが、
        投手から一塁手に転向し’49年にドラゴンズに戻ると、
        .309、37本塁打、114打点と主砲として戦後のドラゴンズを支えた。
        このカード裏面には、“忠彦にいさんが野球のうまいひとでしたから、西沢選手も十才ごろから、バットのふりかたをならいました。”とか、“二十四日間に11本のホームランをはなったこともファンにはわすれられないことです。”また、小学校五年生で身長が163センチもあったことなどが記されております。
        で、この裏面文章は“忠彦にいさんはなくなられましたが、はげましのことばを心にきざんでいる西沢選手は、ますますりっぱなホームラン打者になるでしょう”と、忠彦にいさん押しで締められております。







        大下外野手(東急=フライヤーズ)
        裏面の文章を抜粋すると、“終戦後の各選手のホームランの数をあわせてみると、大下選手が91本で、だんぜん第一位です。”や、“うて! 大下選手! ことしこそ大ホームランを、つぎつぎと、かっとばしてください!”と、当時のちびっ子たちの青バットに対する期待や憧れが感じられますね。







        藤村内野手(阪神=タイガース)
        裏面には“きょねんのシーズンで、ホームラン王そのほか四つの、かがやかしい賞を受けた……”とあります。これは187安打で最多安打、46本で本塁打王、142点で打点王と、366で最多塁打の四つですね。366塁打は当時の最多記録でしたが、翌’50年に小鶴誠が376塁打を放ち抜かれている。ただ、未だに歴代2位の記録であります。
        そして、“小学校にはいるまえから、弟の隆男君(阪神)やちかくにいた柚木君(南海)と野球をやりました。”のくだり、藤村富美男が小学校に入るまえかぁ。弟の藤村隆男と柚木進は藤村富美男の4つ年下であります……。一緒にやってた隆男君と柚木君の方が凄いね。







        藤本投手(巨人=ジャイアンツ)
        裏面は、“二十四年度シーズンの巨人軍優勝に、大きな力となった藤本選手は、とくいの「スライダー」で24勝7敗という、すばらしい成績をあげ、はえある沢村賞をさずけられた最優秀投手です。”という文章で始まっております。
        確かにこの'49年の成績も凄いのですが、なんといっても入団2年目の'43年の34勝11敗、防御率0.73、完封19試合。この年の防御率、完封試合数は現在でもシーズン最高記録。完封数は不滅だろうな。
        そして、通算の防御率が1.90、通算勝率が.697という凄さ。もちろんこれらも歴代1位です。
        あと、裏面文章の中に気になるフレーズが。“「魔の球、スライダー」をうみだして、……”。“魔の球”……。これから使っていこう。“魔球”よりも妖しげでよいね。









        別当外野手(毎日=オリオンズ)
        なんか他の選手と比べて不自然な写真であります。帽子は黒く塗りつぶされ、名鑑用の写真のようなポーズ。
        このカードが作られた前年、阪神でデビュー2年目の’49年に.322、39本塁打、126打点の大活躍、しかしこの年からは新球団の毎日オリオンズに若林、土井垣、本堂、呉らとともに移籍したため、オリオンズのユニフォーム姿の写真が無かったようである。
        資料を探しても、このデザインのユニフォームは存在せず、プロトタイプでこれに似たものがあったようだが、それも袖のラインがもっと太いものが2本、左袖だけに入ったもの。
        写真に手が加えられていると考えるのが自然かな。



        というわけで、今回は1950(昭和25)年、2リーグ制が始まるころに作られた大判カードをご紹介しました。

        【追悼】大友工投手

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           久しぶりの更新になりますが、
          本日は4月12日に亡くなられた、50年代読売ジャイアンツのエース・大友工さんのメンコ、ブロマイドをいくつか紹介いたします。
          あまりきれいな状態のものが無いのですが、追悼の意味を込めまして。







          上のモノクロ写真と同じフィルムに着色したカラーもの。
          版ズレがひどいです。


          当時の少年の落書きが入った一枚。



          1950年代前半の巨人を、藤本英雄、別所毅彦、中尾碩志らと中心投手として支え、在籍した’50〜’59年の10年間で8度のリーグ優勝、自身も7年連続二桁勝利と活躍した。
          ’53年には最多勝(27勝6敗)と最優秀防御率(1.85)の二冠、’55年には30勝(6敗)を挙げた。

          合掌



          長嶋、杉下、玉造! メンコ上で実現! スター夢の共演

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            本日は複数の選手が一枚に収められた、素晴らしい図柄のメンコを数点ご紹介。


            まずはこれ。
            ご存知“ミスター”長嶋茂雄&元祖フォークボールの使い手、通算215勝の杉下茂! 
            そして、ライオンズからはこの人、玉造陽二。
            う〜ん、玉造かあ。ここは中西、豊田、稲尾あたりで収めてほしかった。残念。




            そしてこちらはドラゴンズのトリオ。
            西沢道夫、井上登、そして後は杉山悟か? 名前書いといてくれよな。



            お次は“打撃の神様”川上哲治&“じゃじゃ馬”青田昇!
            青田が終戦後ジャイアンツにいたのは1948〜’52年なんで、その頃の写真ですな。
            そうか、60年前のか。



            こちらは400勝投手金田正一&東映の松岡雅俊。
            高松一高では中西太と同級生だった松岡。
            ただ、金田との組み合わせでは格の違いを感じるが、
            おそらくこのメンコは、松岡が早稲田大から東映に入団した'56年当時の、
            松岡が最も注目されていた頃のものではなかろうか?



            そして、“天皇”金田正一&ジャイアンツの人気者“エンディ”宮本敏雄と……、
            パールズ鈴木……。
            パールズとは近鉄パールズ、鈴木とは“韋駄天”鈴木武。
            この鈴木、'54年には71盗塁で盗塁王に輝いている。
            失策は44個だったけどね。ショートで。



            またもや金やんと、吉田……。
            フライヤーズの吉田勝豊か! 
            '50年代で吉田と言ったら、圧倒的に“よっさん”吉田義男を思い浮かべる人が多いと思いますが、こちらの吉田も1049安打、105本塁打、オールスター出場3回のスタープレイヤーでありました。




            そしてこれは、阪神のエース“七色の変化球”と謳われた若林忠志、愛称“BOZO”と、
            阪神の主砲“物干し竿”藤村富美男!
            おそらく'40年代のもの。
            まあ、名前が書いてあるっていうだけで、ちっとも似ちゃあいませんがね。



            そして、最後はこのタイガースの……、
            誰と誰やねん!


            そんなわけで、おそらく2012年最後の更新となりますが、
            来年も、ぼちぼちとアップしていこうと思いますので、
            何卒よろしくお願い致します。




            マントル、メイズ、バンクスらの声が聞こえる1964年製レコード・カード

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              本日ご紹介する一品は、選手のインタビューが収録されたレコード・カード、
              その名も「1964 AuraVision Baseball Talking Record Card」! 長い。


              パッケージはシンプルな段ボール。
              どこかの誰かさんが豪快に振り抜いたわりにボールが飛んでいないという
              イカしたシルエットがデザインされています。


              そして蓋を開けると、レコードの溝が刻まれた172mm四方のカードが16枚重ねられ、
              その右にはなんとカセットテープ!
              さすが、コレクション王国・アメリカ!
              このカードを綺麗な状態で保存できるよう、
              カセットテープにすべて内容が収録されているという親切っぷり。泣かせる。


              では、'64年製(私の生まれた年)のこのカードセットに収められている16選手をご紹介。


              ミッキー・マントル(Mickey Mantle)
              '56年に三冠王を獲得していている、
              言わずと知れた’50〜’60年代メジャー・リーグのスーパースター。
              このカードが作られた前年'63年は、フェンスに激突し65試合の出場にとどまりましたが、
              まだまだ絶大な人気を誇っていた頃であります。



              ロジャー・マリス(Roger Maris)
              ’61年にベーブ・ルースの記録を抜く年間61本塁打で一躍スターダムに。
              '60年代前半、マントルとのMM砲にヨギ・ベラらを加えた
              ヤンキースの強力ラインナップは、
              「殺人打線(murderer's Row)」と呼ばれた。怖ぇ〜。



              ホワイティ・フォード(Whitey Ford)
              '63年には3度目の最多勝(24勝7敗)と、ヤンキースのエースとして頂点を迎えていた頃。
              ワールド・シリーズでの通算先発22試合、通算10勝は歴代1位。
              マントルとは親友だったようです。どうでもいいですが。



              ドン・ドライスデイル(Don Drysdale)
              '58年にメジャーデビューしたドライスデイルは、'58、'59年に最多奪三振、’62年には25勝(9敗)で初の最多勝と3度目の最多奪三振を獲得。'60年代ドジャース右のエース。
              横手から繰り出される内角への速球が有名で、通算154死球! 怖ぇ〜。



              サンディ・コーファックス(Sandy Koufax)
              右のドライスデールと並び、’60年代ドジャースを両輪として支えたコーファックスは、
              これが作られれた前年'63年に25勝(5敗)で初の最多勝利。
              ここから’64年が19勝5敗、'65年は27勝8敗で最多勝、'66年も27勝9敗で最多勝。
              しかし、この最多勝の'66年ワールド・シリーズ敗戦後、左肘の故障を理由に31歳の若さで突如引退。そのため、36歳という史上最年少での殿堂入り! 若い! 



              ジム・ジェンタイル(Jim Gentile)
              メジャー5球団を渡り歩いたスラッガーでありますが、この人'69年に近鉄バファローズに在籍しております。登録名は愛称の“ジム”とファミリーネム“ジェンタイル”を繋げて縮めて“ジムタイル”……。やな予感。
              開幕戦でいきなりヒザを故障……。5月の復帰戦で阪急・米田からソロホームラン! 
              さすが元メジャー! しかし、一塁に到達する前に肉離れ……。
              代走が認められ、得点は代走の伊勢孝夫についた。
              この年ジムタイルは8本の本塁打を放っておりますが、それ以外は塁に出ると代走が送られたため、得点は本塁打のみ。
              そのため年間本塁打8本、年間得点7という珍記録達成。
              もちろん1年限りでお帰りになりました。



              ロッキー・コラヴィト(Rocky Colavito)
              生涯6度の移籍を経験した外野手。
              30本塁打以上放ったシーズンが7度、100打点以上が6度、
              本塁打王1回(’59年、42本)、打点王1回(’65年、108点)の豪打のスラッガー。
              見ての通りの男前で人気は絶大だったようですな。



              フランク・ロビンソン(Frank Robinson)
              主にレッズ、オリオールズで活躍した通算586本塁打の強打者。
              '65年オフ、レッズはすでに峠を越えたとバカな考えを起こしオリオールズに放出。
              しかし、移籍した'66年に三冠王の大活躍でワールドチャンピオンに。
              何やってんだか、レッズ。
              '75年にクリーブランド・インディアンスで、選手兼任の監督に就任。
              アフリカ系アメリカ人初のメジャー監督となりました。



              ウィリー・メイズ(Willie Mays)
              メジャー史上最高の5ツール・プレイヤー。
              首位打者1回('54年、.345)、
              本塁打王4回(’55年=51本、’62年=49本、'64年=47本、'65年=52本)、
              盗塁王4回(’56年=40、'57年=38、’58年=31,’59年=27)、
              ゴールドグラブ賞12回。
              凄すぎます。"The Say Hay Kid"!!



              ビル・マゼロスキー(Bill Mazeroski)
              ピッツバーグのフランチャイズプレイヤー。
              華麗な守備でゴールドグラブ賞8回、オールスター出場7回の二塁手でありますが、
              マゼロスキーといえば'60年のヤンキースとのワールドシリーズが圧巻。
              3勝3敗で迎えた最終第7戦、パイレーツは8回裏に5点を取り9-7と大逆転。
              しかし、ヤンキースも9回表に2点を返し同点、
              そして迎えた9回裏、マゼロスキーの放った弾丸ライナーはレフトスタンド(スタンドというより土手)に突き刺さるサヨナラホームラン! 
              最終第7戦がサヨナラホームランで決着したのはこの'60年ただ一度であります。
              ↓その有名な映像はこちら。
              http://www.youtube.com/watch?v=FE1nYMg-jU4



              アーニー・バンクス(Ernie Banks)
              Mr.Cub! '50~'60年代バンクスこそがカブスでありました。
              MVP2回、本塁打王2回('58年=47本、'60年=41本)、
              打点王2回('58年=129、’59年=143)の遊撃手。
              背番号「14」は、カブス史上初の永久欠番であります。



              アル・ケーライン(Al Kaline)
              22年間デトロイト・タイガース一筋、ゴールドグラブ賞10回、首位打者1回('55年=.340)の強肩強打外野手。
              オールスターに選出されること15回の“Mr.Tiger”。



              ピート・ワード(Pete Ward)
              ……。'62年にボルチモアでデビューして、
              '63年はシカゴ・ホワイトソックスで157試合、セカンド、サード、ショートを守っているが、それ以外の情報が……、無い。
              どなたか、この選手のこと教えてくださいな。
              そしてなぜかこれだけ2枚ダブって持ってるという。



              ケン・ボイヤー(Ken Boyer)
              ゴールデングラブ賞5回受賞、セントルイス・カージナルスの名三塁手ですね。
              大洋ホエールズに所属していたクリート・ボイヤーは弟。こちらも好守の三塁手でした。



              ボブ・アリソン(Bob Allison)
              20本塁打以上8回という巨漢のパワーヒッター。
              13年間、ハーモン・キルブリューとともにセネタース/ツインズを支えた。



              ウォーレン・スパーン(Warren Spahn)
              '40年代からブレーブスの大黒柱として活躍。
              通算363勝は左腕では歴代1位。
              このときすでに42歳。'65年の44歳まで投げ続けた偉大な左腕。


              今回はちょっと長くなっちゃいましたが、
              どの写真もイカしたポーズで美しいカードです。
              デッドストックなのか、非常に綺麗な一品です。

              皆さま風邪などお召しにならぬよう。
              では。

              “HŌMURAN”!! ちょっと変なローマ字メンコ

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                今回は、ちょっと変な日本語が書かれた野球メンコたちをご紹介。





                まずは手始めに、ヘボン式ではなく日本式ローマ字で書かれたメンコを。

                Tiba!


                Noguti!
                ん? イラストのユニフォームのネーム、Bravesの綴りが怪しい。
                “a”のあと“v”じゃないよな? これ。


                Nisizawa! Nisizawa!!


                KAZIOKA!
                ん? 裏を見てみると……。

                えーっ! 梶岡って“かぢおか”なの〜〜〜⁈





                そして、

                まあ、本場アメリカでもその昔「baseball」という単語ができるまでは
                「base ball」と表記していたようですから、あながち間違いでもない。許容範囲!


                しかし! これはどうだ? “HŌMURAN”って! 
                英語を日本語の発音で読んだものをさらにローマ字に!


                これも。Seifuって……。
                一瞬西武ライオンズかと思ったよ。


                そして、裏もご丁寧にアンパイアが両手広げております。

                じゃあ、これはどうだ!

                “Sutiru”って! なんか間違ってる……。
                日本人が英語を苦手とする理由が……、わかった。




                そして、子供たちを惑わすスペルの間違いも。

                惜しい! そこはBRAVESといきたかった。


                惜しい!



                では、これはどう判断する?
                ビクトル・スタルヒン。もちろん正確にはロシア語なんだが、
                英語で表記するとVictor Starffin。だが、

                Sutaruhin!

                まあ、Starffinって書いてあっても子供たちは読めんだろうから、
                これは良しとするか……。
                いいのか⁈

                このようなものに囲まれた子ども時代を過ごし、
                立派な大人になったニッポンの男たち。
                バンザイ!

                では、また来週。

                いくらマントル・アイテムとはいえ、こんなものまで集めなくても……

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                   本日ご紹介の一品はこれ。
                  今は無き「ミッキーマントル レストラン」のブランチメニュー……。


                  MLBものでは、古いベースボールカードやら、1950〜'60年代のフィギュアなどを中心に集めているのですが、なぜこんなものを……。しかも、オークションで。

                  これは、ニューヨーク・セントラルパークの南側にあった「Micky Mantle's Restaurant and Bar」が閉店したときに流出したであろうブランチメニュー。流出ってほどのもんでもないが……。
                  こんなものが、オークション終了間際になっても誰も入札していないと、ついついbidしてしまう私です。いや、正確に言いますと、そんな盲目的に貪っていた頃もありました。


                  これが裏


                  そして、これが中面。
                  私も二度行きましたが、壁に飾られた古い写真やユニフォームには涎を垂らしましたが、料理は、量が多かったという記憶しかありません。ごめんなさい。


                  そして、これはセットでオークションに出されていた店のブックマッチ……。30個……。
                  メニューとブックマッチ30個でいくらだったんだっけ? まあ、思い出すのはやめとこう。

                  >>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>


                  そして、これはサンフランシスコのフィッシャーマンズ・ワーフにあったジョー・ディマジオのレストランの……、ブックマッチ。


                  これが裏面。イカしてます。


                  このディマジオのレストランはいつまであったんだろ?
                  行ったことがあるという方は、ぜひ情報をお願いいたします。

                  >>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>


                  そして、もうひとつ……。
                  ロベルト・クレメンテが試合で使用したバットの……、おがくず。
                  よいこのみんなはこんなもん絶対に買っちゃあいけませんよ! 「SAWDUST」って。
                  おそらく、ベースボールカードに封入するためにバットをスライスした、ときに出た“おがくず”……。
                  なぜ手に入れたいと思ったのか……。思い出すのはやめておこう。

                  まあ、たまにこうして眺めて、二度とこういう買い物はしないように戒める材料として、大切に保管しておくこととしましょう。


                  では、また来週。


                  関根潤三の華麗なバッティングフォームも拝める『東芝くじ付きカード』

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                    今回は1960(昭和35)年に刷られた、東芝70周年記念のくじ付きカード。
                    私の手元にあるのは5選手、当時何種類刷られたのか、どのようにして入手できたのかは不明であります。



                    オモテ面の下部にはこのようなくじが付いており、当選番号は昭和35年の10月下旬に発表され、当選したら東芝にこの部分を送るという寸法。
                    「マツダランプ躍進セール」ってことは、東芝製の「マツダランプ」に付いていたカードなのかな?



                    で、裏面は賞品一覧。
                    なんと特賞は、お母さんに30万円のダイヤの指輪か、30万円相当の東芝家電!
                    子どもにも野球用具1チーム分か8ミリ撮影機&映写機! 
                    調べてみると当時の大卒男子の初任給が1万6千円ほどだというから、相当な豪華景品だ。
                    さすが東芝! よっ、太っ腹!!

                    野球モノ・コレクターの私としましては、外れ券3枚で応募できる「高級野球盤」が非常に気になるのであります。
                    2年前の'58年にはエポック社が野球盤第1号を発売しているから、エポック社の野球盤なのかな?



                    豊田泰光(西鉄ライオンズ)

                    この年の豊田は、腱鞘炎でリタイアした中西太に替わって4番に座り、打率.287、23本塁打、87打点でありました。



                     
                    山内一弘(大毎オリオンズ)

                    当時の名は山内和弘。
                    この年の山内は打率.313、32本塁打、103打点で、本塁打、打点の二冠王! チームもパ・リーグを制した。




                    榎本喜八(大毎オリオンズ)

                    この年の榎本は.344で首位打者。
                    山内和弘、葛城隆雄、田宮謙次郎とミサイル打線の中核を担った。




                    吉田義男(阪神タイガース)

                    '60年の吉田は犠打22でセ・リーグ最多、ショートでベストナインに選ばれております。




                    関根潤三(近鉄バファロー)

                    ’59〜'61年は「バファローズ」ではなく「バファロー」だったお荷物球団近鉄。
                    その中にあって、’58年に投手から外野手に転向していた関根は、打率.282、2本塁打、32打点。この数字で主に3番に座っていたところからも、当時の近鉄がいかに弱かったかがうかがえます。
                    どれほど弱かったかと申しますと、この年は勝率.331で首位と39差の最下位。前年は勝率.300で首位と49差でもちろん最下位。そして、翌'61年に至っては勝率.261で首位と51.5差、103敗と3桁の負け数。
                    千葉茂監督はもちろん更迭されました。

                    ちなみに今季の横浜DeNAの勝率は.351……。まあまあの成績に見える……。



                    三原監督が西鉄から大洋に移り、見事日本一に導いた’60(昭和35)年。
                    そんな年に東芝が行ったキャンペーンのくじ付きカード。
                    他にどんな選手のカードがあったのか? 長嶋、金田らのカードもあったのかな?
                    もっと探してみたいアイテムであります。

                    というわけで、だいぶ秋が深まってきた遠州・磐田からでした。
                    では、また来週。

                    ミッキー・マントル永久欠番記念“缶バッジ”

                    0
                       今回は、1969年6月8日にヤンキースタジアムで行われた「ミッキー・マントルデー」で配布された缶バッジをご紹介。


                      ミッキー・マントル。1951年から’68年までヤンキースで活躍。首位打者1回、本塁打王4回、打点王1回、'56年にはスイッチヒッターで初の三冠王、通算536本塁打はスイッチヒッターとして史上最多。野球コレクションの世界では、ベーブ・ルースと並びトップの人気を誇る。
                      ’95年に酒の飲み過ぎで肝臓を壊し、63歳で没。
                      ちなみに、私の死んだ親父と同い年。←これはどうでもいい情報。
                      あと、私はドワイト・グッデンと同い年。←さらにどうでもいい情報。



                      ’69年の3月、'68年シーズン限りでの引退を発表したマントル。
                      ヤンキースは'69年6月8日ヤンキースタジアムでの試合を“ミッキー・マントルデー”と銘打ち、マントルの背番号“7”を永久欠番とすることを発表。この試合には60,096人もの観衆が押し寄せた。
                      この試合で配布された(おそらくそうだと思うのだが)のがこの缶バッチ。アメリカ流に言うと“pinback”。
                      これは'90年代にNYの蚤の市で購入したもの。




                      そして、これは生涯記録が印刷された引退記念のボールペン。
                      これも缶バッチと同時に購入。




                      そしてもうひとつ同時購入したのは、このナイフ。
                      当時はもっと多くの種類の引退記念モノが作られたのであろう。
                      これからも探してみたいものであります。




                      ついでにご紹介するのは、'58年のベースボールカード。
                      これもNYの蚤の市で購入したもの。
                      ネットオークションがなかった頃は、カードやサインものなどメモラビリアを扱うショップがアメリカ各都市にいくつもあったのだが……。


                      そんなわけで、今日はマントルの引退記念モノをご紹介いたしました。
                      では、また来週。



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