マシューズ、アーロン/通算HR512本と755本。ミルウォーキーの主砲コンビ(ハートランド・フィギュア)

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     今回は1960年製のハートランド・フィギュアから、‘50〜’60年代のミルウォーキーを熱狂させたブレーブスの主砲コンビ、ハンク・アーロンとエディ・マシューズの2体をご紹介。

     このフィギュア、左袖の酋長マークがざっくり作りすぎで、いちごのようなかわいらしい感じになっております。


     マシューズは1952年、当時ボストンに本拠地を置いていたブレーブスでメジャー・デビュー。このとき20歳で三塁のレギュラーを奪うと、翌’53年には47本で本塁打王を獲得した。

     ’54年に本拠地をミルウォーキーに移したブレーブスに、20歳の黒人外野手がデビューする。マシューズが移籍する’66年までの13年間、共に主砲としてブレーブスを支えることになるハンク・アーロンである。

     20本以上本塁打を放ったのは、マシューズがデビューの年から14年連続、アーロンはデビューの翌年から20年連続。二人がブレーブスで同じユニフォームを着た13年間で放った本塁打は、マシューズ405本、アーロン442本の合計847本。

     ちなみに日本プロ野球の王、長嶋の場合は、王634本、長嶋415本の1049本であります。

     マシューズは‘70〜’74年にブレーブスの監督を務め、’74年にアーロンがベーブルースの記録を抜く715号本塁打をベンチで見ることとなります。


     長期にわたり欠場することなく、本塁打と打点を重ねたマシューズは、ファンから「ステディ・エディ」と呼ばれ親しまれた。

     やや腰高の三塁守備は、デビュー年には30失策でリーグ最多。しかし、プレーに華がありルックスもハンサムな若きホームラン・スターは、ミルウォーキー市民のアイドルでありました。
     

    エディ・マシューズ(Eddie Mathews)

    1931年生まれ

    ボストン・ブレーブス/ミルウォーキー・ブレーブス/アトランタ・ブレーブス(1952〜’66年) ー ヒューストン・アストロズ(’67年) ー デトロイト・タイガース(’67〜’68年)

    1978年野球殿堂入り

    2001年没(69歳)

    ●本塁打王 2回(’53年/47本、’59年/46本)

    【通算】17年 2315安打 512本塁打 1453打点 68盗塁



     

     アーロンといえばホームラン。今はバリー・ボンズに抜かれて歴代2位となったが、私の少年時代は世界のホームラン王。

     ’74年秋に来日したときの王とのホームラン競争は今でも鮮明に覚えております。

     それにしてもこのフィギュア、自立しないのが玉にきず。ショーケースの中で倒れ帽子のつばが割れております。写真撮影時には別のベースに貼り付けて立たせた。まったく手が掛かる。が、それがまた良い。
     

    ハンク・アーロン(Hank Aaron)

    1934年生まれ

    ミルウォーキー・ブレーブス/アトランタ・ブレーブス(1954〜’74年) ー ミルウォーキー・ブルワーズ(‘75〜’76年)

    1982年野球殿堂入り

    ●ナショナルリーグMVP 1回(’57年)

    ●首位打者 2回(’56年/.328、’59年/.355)

    ●本塁打王 4回(’57年/44本、’63年/44年、’66年/44本、’67年/39本)

    ●打点王 4回(’57年/132打点、’60年/126打点、’63年/130打点、’66年/127打点)

    ●ゴールデングラブ賞 3回(’58年、’59年、’60年)

    【通算】23年 3771安打 755本塁打 2297打点 240盗塁



     

     というわけで、今回は1960年製のハートランド・フィギュアから、ハンク・アーロン、エディ・マシューズの2体をご紹介しました。

     次回は’40〜’50年代に大活躍した二人、“ザ・マン”と最後の四割打者のハートランド・フィギュアをご紹介する予定です。

     では。
     

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    マントル、メイズ、スナイダー/’50年代NYのセンターフィールダー(ハートランド・フィギュア)

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       私のベースボール・フィギュア・コレクションの中で最も愛するシリーズが今回ご紹介するこれ。
       1960年のハートランド社製プラスチック・フィギュアです。
       このフィギュアの存在を知ってから、アメリカのオークションや現地のショップ、カードショウなどでコツコツ集めてまいりました。
       25周年で作られた復刻版を含み30体ほど所有しておりますので、今回から数体ずつテーマを決めて紹介していきたいと思います。



       今回は1950年代のニューヨーク、ヤンキースタジアム、ポログラウンズ、そしてエベッツフィールド、それぞれのセンターフィールドを守っていたスーパースター3人衆のフィギュアです。
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       ジョー・ディマジオ現役最後の年となる1951年のヤンキースで、左打ちの祖父と右打ちの父に仕込まれ育った根っからのスイッチヒッター外野手、ミッキー・マントルがデビュー。
       同じくニューヨークに本拠地を置くジャイアンツでは、走攻守三拍子揃った“黒い稲妻”ウィリー・メイズも’51年にデビューし、もうひとつのニューヨークのチーム、ブルックリン・ドジャースには’47年にデビューし’49年からレギュラーとなっていたスラッガー、デューク・スナイダーが活躍していた。
       マントル、メイズがデビューした’51年から、ジャイアンツとドジャースが西海岸に移転する’57年までの7年間、ニューヨークの3球団でいずれもセンターを守る強打者3人がしのぎを削ることとなります。まさにニューヨークこそが野球の中心、そんな輝かしい時代でありました。



       当時ニューヨークの酒場では、マントル、メイズ、スナイダー、センターを守るこの3人で誰が最も優れた選手か、という話題でかんかんがくがく盛り上がっていたことはたやすく想像できますね。まあ、当時を知らない私のイメージ、また通算成績から推察するに、スナイダーが若干劣るかな、と思いますが実際のところどうだったのでしょうか。
       そこで3人が共にニューヨークにいた’51〜’57年の7年間の記録を比べてみることとしましょう。ただ、メイズが兵役で’52年途中から’53年を棒に振っていますので、単純には比べられませんが。


       どうです、こりゃ凄い。3人ともOPS(出塁率+長打率)がAランクとされる.900を大きく超えている。マントルに至っては1.001! それぞれのチームにこんなセンターフィールダーがいたんだから、そりゃニューヨークは大騒ぎだよ。
       しかも、この7年間のチーム成績は

      ヤンキース(アメリカンリーグ)リーグ優勝6回 ワールドシリーズ優勝5回

      ジャイアンツ(ナショナルリーグ)リーグ優勝2回 ワールドシリーズ優勝1回

      ドジャース(ナショナルリーグ)リーグ優勝4回 ワールドシリーズ優勝1回

       ということで、’54年ワールドチャンピオンがジャイアンツ、’55年がドジャース、それ以外はヤンキースと、7年間全てニューヨークにチャンピオンフラッグがあったわけです。そりゃニューヨークは大騒ぎだ!

       


      マントルといえばコレクションの王様。
      数あるアイテムの中でもこのフィギュアがダントツでカッコイイですね。
       


      このポケットキャッチのポーズ、あの有名な’54年ワールド・シリーズのスーパーキャッチ、「ザ・キャッチ」とは違いますよね?
      バッティング・フォームじゃないところが泣かせる。
      そして、アメリカのどこかの誰かさんによって、マジックで書かれた“Willie Mays”って背中の文字が、もっと泣かせる。



      デューク・スナイダーはブルックリンにドジャースが居た頃の古き良きニューヨークの象徴だね。これ賞でてバーボン傾けたら最高だね。間違いない。
      ただ、これは’60年製なんで、ブルックリンじゃなくてロサンゼルスの帽子です。あしからず。
      そういえば、スナイダーのフィギュアっていうのは、このハートランド製しか無いんじゃないかな?


      ミッキー・マントル(Mickey Mantle
      1931年生まれ
      ニューヨーク・ヤンキース(1951〜’68年)
      1974年アメリカ野球殿堂入り
      1995年没(63歳)
      ●アメリカンリーグMVP 3回(’56年、’57年、’62年)
      ●三冠王 1回(’52年/.353 52本塁打 130打点)※スイッチヒッター初
      ●ゴールドグラブ賞 1回(’62年)
      ●首位打者 1回(’56年/.353)
      ●本塁打王 4回(’55年/37本、’56年/52本、’58年/42本、’60年/40本)
      ●打点王 1回(’56年/130打点)
      ●オールスター出場 16回
      【通算】18年 2415安打 536本塁打 1509打点 153盗塁


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      ウィリー・メイズ(Willie Mays
      1931年生まれ(82歳)
      ニューヨーク・ジャイアンツ/サンフランシスコ・ジャイアンツ(1951〜’52年、’54〜’72年)ー ニューヨーク・メッツ(’72〜’73年)
      1979年アメリカ野球殿堂入り

      ●ナショナルリーグMVP 2回(’54年、’65年)
      ●新人王(’51年)
      ●ゴールドグラブ賞 12回(’57〜’68年)
      ●首位打者 1回(’54年/.345)
      ●本塁打王 4回(’55年/51本、’62年/49本、’64年/47本、’65年/52本)
      ●盗塁王 4回(’56年/40盗塁、’57年/38盗塁、’58年/31盗塁、’59年/27盗塁)
      ●30本塁打30盗塁 2回(’56年、’57年)
      ●オールスター出場 20回
      【通算】22年 3283安打 660本塁打 1903打点 338盗塁


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      デューク・スナイダー(Duke Snider
      1926年生まれ
      ブルックリン・ドジャース/ロサンゼルス・ドジャース(1947〜’62年)ー ニューヨーク・メッツ(’63年)ー サンフランシスコ・ジャイアンツ(’64年)
      1980年アメリカ野球殿堂入り
      2011年没(84歳)

      ●打点王 1回(’55年)
      ●本塁打王 1回(’56年)
      ●オールスター出場 8回
      【通算】18年 2116安打 407本塁打 1333打点 99盗塁


      というわけで、今回は’50年代ニューヨークのセンターフィールド3人衆をご紹介いたしました。
      次回は’50〜’60年代ブレーブスの主砲2人のハートランド・フィギュアを、と考えております。
      ではでは。


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