“HŌMURAN”!! ちょっと変なローマ字メンコ

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    今回は、ちょっと変な日本語が書かれた野球メンコたちをご紹介。





    まずは手始めに、ヘボン式ではなく日本式ローマ字で書かれたメンコを。

    Tiba!


    Noguti!
    ん? イラストのユニフォームのネーム、Bravesの綴りが怪しい。
    “a”のあと“v”じゃないよな? これ。


    Nisizawa! Nisizawa!!


    KAZIOKA!
    ん? 裏を見てみると……。

    えーっ! 梶岡って“かぢおか”なの〜〜〜⁈





    そして、

    まあ、本場アメリカでもその昔「baseball」という単語ができるまでは
    「base ball」と表記していたようですから、あながち間違いでもない。許容範囲!


    しかし! これはどうだ? “HŌMURAN”って! 
    英語を日本語の発音で読んだものをさらにローマ字に!


    これも。Seifuって……。
    一瞬西武ライオンズかと思ったよ。


    そして、裏もご丁寧にアンパイアが両手広げております。

    じゃあ、これはどうだ!

    “Sutiru”って! なんか間違ってる……。
    日本人が英語を苦手とする理由が……、わかった。




    そして、子供たちを惑わすスペルの間違いも。

    惜しい! そこはBRAVESといきたかった。


    惜しい!



    では、これはどう判断する?
    ビクトル・スタルヒン。もちろん正確にはロシア語なんだが、
    英語で表記するとVictor Starffin。だが、

    Sutaruhin!

    まあ、Starffinって書いてあっても子供たちは読めんだろうから、
    これは良しとするか……。
    いいのか⁈

    このようなものに囲まれた子ども時代を過ごし、
    立派な大人になったニッポンの男たち。
    バンザイ!

    では、また来週。

    いくらマントル・アイテムとはいえ、こんなものまで集めなくても……

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       本日ご紹介の一品はこれ。
      今は無き「ミッキーマントル レストラン」のブランチメニュー……。


      MLBものでは、古いベースボールカードやら、1950〜'60年代のフィギュアなどを中心に集めているのですが、なぜこんなものを……。しかも、オークションで。

      これは、ニューヨーク・セントラルパークの南側にあった「Micky Mantle's Restaurant and Bar」が閉店したときに流出したであろうブランチメニュー。流出ってほどのもんでもないが……。
      こんなものが、オークション終了間際になっても誰も入札していないと、ついついbidしてしまう私です。いや、正確に言いますと、そんな盲目的に貪っていた頃もありました。


      これが裏


      そして、これが中面。
      私も二度行きましたが、壁に飾られた古い写真やユニフォームには涎を垂らしましたが、料理は、量が多かったという記憶しかありません。ごめんなさい。


      そして、これはセットでオークションに出されていた店のブックマッチ……。30個……。
      メニューとブックマッチ30個でいくらだったんだっけ? まあ、思い出すのはやめとこう。

      >>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>


      そして、これはサンフランシスコのフィッシャーマンズ・ワーフにあったジョー・ディマジオのレストランの……、ブックマッチ。


      これが裏面。イカしてます。


      このディマジオのレストランはいつまであったんだろ?
      行ったことがあるという方は、ぜひ情報をお願いいたします。

      >>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>


      そして、もうひとつ……。
      ロベルト・クレメンテが試合で使用したバットの……、おがくず。
      よいこのみんなはこんなもん絶対に買っちゃあいけませんよ! 「SAWDUST」って。
      おそらく、ベースボールカードに封入するためにバットをスライスした、ときに出た“おがくず”……。
      なぜ手に入れたいと思ったのか……。思い出すのはやめておこう。

      まあ、たまにこうして眺めて、二度とこういう買い物はしないように戒める材料として、大切に保管しておくこととしましょう。


      では、また来週。


      関根潤三の華麗なバッティングフォームも拝める『東芝くじ付きカード』

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        今回は1960(昭和35)年に刷られた、東芝70周年記念のくじ付きカード。
        私の手元にあるのは5選手、当時何種類刷られたのか、どのようにして入手できたのかは不明であります。



        オモテ面の下部にはこのようなくじが付いており、当選番号は昭和35年の10月下旬に発表され、当選したら東芝にこの部分を送るという寸法。
        「マツダランプ躍進セール」ってことは、東芝製の「マツダランプ」に付いていたカードなのかな?



        で、裏面は賞品一覧。
        なんと特賞は、お母さんに30万円のダイヤの指輪か、30万円相当の東芝家電!
        子どもにも野球用具1チーム分か8ミリ撮影機&映写機! 
        調べてみると当時の大卒男子の初任給が1万6千円ほどだというから、相当な豪華景品だ。
        さすが東芝! よっ、太っ腹!!

        野球モノ・コレクターの私としましては、外れ券3枚で応募できる「高級野球盤」が非常に気になるのであります。
        2年前の'58年にはエポック社が野球盤第1号を発売しているから、エポック社の野球盤なのかな?



        豊田泰光(西鉄ライオンズ)

        この年の豊田は、腱鞘炎でリタイアした中西太に替わって4番に座り、打率.287、23本塁打、87打点でありました。



         
        山内一弘(大毎オリオンズ)

        当時の名は山内和弘。
        この年の山内は打率.313、32本塁打、103打点で、本塁打、打点の二冠王! チームもパ・リーグを制した。




        榎本喜八(大毎オリオンズ)

        この年の榎本は.344で首位打者。
        山内和弘、葛城隆雄、田宮謙次郎とミサイル打線の中核を担った。




        吉田義男(阪神タイガース)

        '60年の吉田は犠打22でセ・リーグ最多、ショートでベストナインに選ばれております。




        関根潤三(近鉄バファロー)

        ’59〜'61年は「バファローズ」ではなく「バファロー」だったお荷物球団近鉄。
        その中にあって、’58年に投手から外野手に転向していた関根は、打率.282、2本塁打、32打点。この数字で主に3番に座っていたところからも、当時の近鉄がいかに弱かったかがうかがえます。
        どれほど弱かったかと申しますと、この年は勝率.331で首位と39差の最下位。前年は勝率.300で首位と49差でもちろん最下位。そして、翌'61年に至っては勝率.261で首位と51.5差、103敗と3桁の負け数。
        千葉茂監督はもちろん更迭されました。

        ちなみに今季の横浜DeNAの勝率は.351……。まあまあの成績に見える……。



        三原監督が西鉄から大洋に移り、見事日本一に導いた’60(昭和35)年。
        そんな年に東芝が行ったキャンペーンのくじ付きカード。
        他にどんな選手のカードがあったのか? 長嶋、金田らのカードもあったのかな?
        もっと探してみたいアイテムであります。

        というわけで、だいぶ秋が深まってきた遠州・磐田からでした。
        では、また来週。

        ミッキー・マントル永久欠番記念“缶バッジ”

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           今回は、1969年6月8日にヤンキースタジアムで行われた「ミッキー・マントルデー」で配布された缶バッジをご紹介。


          ミッキー・マントル。1951年から’68年までヤンキースで活躍。首位打者1回、本塁打王4回、打点王1回、'56年にはスイッチヒッターで初の三冠王、通算536本塁打はスイッチヒッターとして史上最多。野球コレクションの世界では、ベーブ・ルースと並びトップの人気を誇る。
          ’95年に酒の飲み過ぎで肝臓を壊し、63歳で没。
          ちなみに、私の死んだ親父と同い年。←これはどうでもいい情報。
          あと、私はドワイト・グッデンと同い年。←さらにどうでもいい情報。



          ’69年の3月、'68年シーズン限りでの引退を発表したマントル。
          ヤンキースは'69年6月8日ヤンキースタジアムでの試合を“ミッキー・マントルデー”と銘打ち、マントルの背番号“7”を永久欠番とすることを発表。この試合には60,096人もの観衆が押し寄せた。
          この試合で配布された(おそらくそうだと思うのだが)のがこの缶バッチ。アメリカ流に言うと“pinback”。
          これは'90年代にNYの蚤の市で購入したもの。




          そして、これは生涯記録が印刷された引退記念のボールペン。
          これも缶バッチと同時に購入。




          そしてもうひとつ同時購入したのは、このナイフ。
          当時はもっと多くの種類の引退記念モノが作られたのであろう。
          これからも探してみたいものであります。




          ついでにご紹介するのは、'58年のベースボールカード。
          これもNYの蚤の市で購入したもの。
          ネットオークションがなかった頃は、カードやサインものなどメモラビリアを扱うショップがアメリカ各都市にいくつもあったのだが……。


          そんなわけで、今日はマントルの引退記念モノをご紹介いたしました。
          では、また来週。


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