【野球のかるた】鈴木出版野球かるた・その3

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    本日も1956〜’57年に発売された、鈴木出版の「野球かるた」をご紹介。



    「さくせんは こうしてああして わしのかち」
    国鉄スワローズ監督・宇野光雄。
    確かに1956年に監督就任してから、それまでの最高が5位だったスワローズを4年連続で4位という快進撃(笑)! 
    スワローズが初めてAクラスに入るのは、宇野が監督を辞めた翌年’61年に砂押監督で3位……。
    まあ、金田正一ひとりのチームだったことを考えると、作戦をああしてこうしなきゃ戦えなかったんだろうな。



    「しあいこうしゃの山本かんとく」
    こちらの監督、南海の山本(鶴岡)一人は正真正銘の名監督。
    1946〜’68年の23年間もない位階の監督を務めた“ドン鶴岡”。
    2リーグ分裂後のリーグ優勝は11回で、そのうち日本一が2回。
    2位が9回で、3位以下は'67年の4位が1回あるのみ。
    まさに昭和の名監督!



    「すましたかおして いいあたり」
    これ、誰でしょう? どなたか教えてください。

    「おいても戸倉は がいやをまもる」
    戸倉勝城は、35歳でプロ入りした'50年代阪急の4番打者。
    「おいても」は「老いても」ってことですね。
    '55年には40歳で打率.321の事故最高を記録。
    ’55、'56年と2年続けてベストナインに選ばれている。

    今回は3回に分けて「鈴木出版野球かるた」のご紹介でした。


    【野球のかるた】鈴木出版野球かるた・その2

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      昨日に引き続き1956〜’57年に発売された、鈴木出版の「野球かるた」をご紹介。


      「ねばれねばれとベンチでおうえん」
      って、これは「プロ野球ニュース」でもおなじみ佐々木信也ではありませんか。
      しかもベンチで応援というより、すっかり寛いじゃってます。
      そして、高橋ユニオンズはこのかるたができた'56年をもって解散いたしました。



      「なんかいのホープ杉山せんしゅ」
      杉山光平は1952年に近鉄パールス入団、'55年には南海ホークスに移籍しクリーンアップに名を連ねた。'59年には打率.323で首位打者に輝いている。



      「くればもらうぞバルボンせんしゅ」
      ダハハハ〜! バルボン! その構えでええんか〜い!
      さすがチコ! 生粋の関西人(笑)!
      あ、チコとはバルボンの愛称です。


      明日も「鈴木出版野球かるた」の続きを。


      【野球のかるた】鈴木出版野球かるた・その1

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        本日から3回に分けて1956〜’57年に発売された、鈴木出版の「野球かるた」をご紹介。
        長嶋茂雄がデビューする少し前、川上哲治晩年のころのものです。



        「はりきる武智のかんぜんしあい」
        武智文雄は’50〜’62年に近鉄で通算100を挙げた投手。
        '54年には26勝15敗で最多勝、'55年6月19日対大映ダブルヘッダーの第2試合で完全試合を達成。これは'50年の藤本英雄に続き史上2人目の達成でした。



        「ちゃんすにつよいきょうだの大津」
        大津とは、’56〜’61年に阪神に在籍した大津淳外野手。
        入団1年目から外野のレギュラーとなり、’56〜'58年は田宮謙次郎らとクリーンアップに名を連ねた。



        「わかものよおれにつづけ岩本かんとく」
        岩本義行は「神主打法」で鳴らした外野手で、1954年に一旦引退するが、'56年に選手兼監督として東映フライヤーズに復帰した。明治生まれ最後の現役選手で、'57年に45歳5ヶ月で放った本塁打は現在でも史上最高齢本塁打記録。

        というわけで、本日から3回に分けて鈴木出版んの「野球かるた」を紹介していきます。



        「天秤打法」近藤和彦

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          近藤和彦(こんどう・かずひこ)
          1936年生まれ
          大洋ホエールズ(1958〜’72年)/近鉄バファローズ('73年)
          2002年没(66歳)



          明治大学時代は立教大・長嶋茂雄と同期で、1958年に大洋に入団。
          大学時代は主に一塁を守っていたが、プロ入りすると1年目から外野のレギュラーとして規定打席期に達し、打率.270、13本塁打、37打点の成績を挙げる。
          新人としては立派な成績だったが、新人王長嶋の打率.305、29本塁打、92打点と比べてしまうと、やはり見劣りしてしまう。
          3年目の’60年に初めて3割を超えると、生涯6度の3割超えを記録。'65年には152本で最多安打に輝くが結局首位打者は獲れず、2位が4度で、そのうち’60,'61年の首位打者が長嶋だったことを考えると、スーパースターと同い年の不運を憂いたこともあったろう。



          近藤和彦は’60〜’68年まで9年連続でオールスターゲームに出場しているが、'63年の第1戦にパの切り札稲尾(西鉄)からオールスター史上初のサヨナラ本塁打を放ちMVPに選ばれている。
          また、オールスターでの9試合連続安打は、2000年にイチローに抜かれるまで最長記録。オールスターでの通算.338と高い打率を残している。



          近藤和彦といえば「天秤打法」。
          両手を放してバットを握り、頭の上に水平に構える例のアレである。
          しかし、あんなに有名なフォームなのに、誰もが近藤和と認識するあのポーズのメンコが一枚も持ってなかった! 何故だ?! 近藤和といったら“天秤”だろ、テ・ン・ビ・ン!
          頼むよぅ。


          近藤和彦は外野を守ったのが1309試合、一塁で695試合出場している。
          優勝した’60年は118試合で一塁を守り、3番・ファーストとして貢献した。


          というわけで、本日3月2日は近藤和彦が1936年に生まれた日でありました。


          「ミスター! もう一丁っ!」おでこにも長嶋茂雄!

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            長嶋茂雄の販促物を 先日紹介しましたが、ひとつ漏れていたので追加で。


            これは“ミスター・サンヨー”として三洋電機のキャラクターだった長嶋茂雄が、「サンヨー自家水道装置」の販促物になったもの。
            で、これは何かと言いますと、ツバが付いたお面です……。
            ツバを上げるとそこから目が出せるというもの。
            そして、おでこにミスター!
            被ったところの写真も欲しいところですが、なんせ50年以上も前の品、もろくなっているので平起きの写真のみで。

            この「サンヨー自家水道装置」とはモーターで井戸水を組み上げる装置で、出てくる水はもちろん井戸水で水道じゃあありません! 1950年代半ばのものかと。

            あと、余談ですが、このお面が作られた20ほど後、サンヨーはサンヨーでも三洋電機ではなくアパレルの三陽商会が、1975年に買いやすい価格のスーツブランド「ミスター・サンヨー」を立ち上げ、当時引退して巨人の新監督になった長嶋がCMに起用されております。


            というわけで、本日は長嶋茂雄の販促物、もう一丁でした。


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