こんなところにもミスターが! 長嶋茂雄が登場する販促物

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    我が事務所の壁に貼ってある「名糖アイスクリームバー」の看板。
    ミスターの豪快なスイングが美しい一枚。
    おそらく「ホームランバー」と名前が変わる前のものではないだろうか?
    1960年当時のもの。



    こちらは現役晩年のもの。ONセットのプラスチック皿。
    1973〜’74年ころのもの。



    そして、三共の「ビオタミン」の販促物。
    ハガキ、マッチ、店頭ポップ。
    これも現役晩年のものですね。





    そして、こんなところにもミスターが。
    これは販促物ではなく商品ですが、ちょっと面白いのでご紹介。
    子供用の体育着。短パンです。
    おそらく私が小学校2〜3年の頃のものと思われますが、当時これを履いている友達を見たことはありません。
    売れたんだろうか? 学校では履けないしな〜。


    というわけで、2月20日は長嶋茂雄75歳の誕生日でした。
    今回は長嶋の販促物をいくつかご紹介しました。メンコは以前紹介しましたコチラをご覧ください。

    http://idetabaseball.jugem.jp/?eid=5


    メジャーリーガーが驚嘆したサブマリン 大友工

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      大友工(おおとも・たくみ)
      1925年生まれ
      読売ジャイアンツ(1945〜'59年)/近鉄バファロー('60年)



      運送会社の但馬貨物で軟式野球部にいたところをスカウトされ巨人入団。
      しかし、「できたばかりの二軍要員としての採用だった」と本人は振り返っている。
      硬球に慣れるのに苦労したが、球威を増すためステップを広げていったところ、自然と身体が傾き横手投げに。これが功を奏しプロ入り2年目で初勝利。
      '52年にはノーヒットノーランを達成、'53年には27勝6敗で最多勝、1.86で最優秀防御率、.818で最高勝率、MVP、沢村賞も獲得し、別所毅彦と並びエースとして巨人の第2期黄金時代を支えた。
      '53年オフに来日したニューヨーク・ジャイアンツ相手に完投勝利を飾り、「あんな地面から浮き上がってくる球は打てない」とメジャーリーガーを驚かせた。



      3Dばりに版ズレしまくってます。
      そして1949年に廃止された逓信講習所出身。



      これがメジャーリーガーをきりきり舞いさせたサブマリン。美しい。
      この帽子のマークは'53年のもの。



      夜? ドラマチックな一枚。どうでもいいことだが、芝がやたらと深い。


      というわけで、2月19日は大友工87歳の誕生日でした。先週の話しですが。


      2番・ショートのイメージを変えたスラッガー 豊田泰光

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        豊田泰光(とよだ・やすみつ)
        1935年生まれ
        西鉄ライオンズ(1953〜'62年)/国鉄スワローズ ー サンケイスワローズ ーサンケイアトムズ ーアトムズ(’63〜’69年)
        2006年野球殿堂入り



        西鉄クリッパーズと西日本パイレーツが合併し、三原修を監督に迎えて西鉄ライオンズがスタートしたのが1951年のこと。
        三原は真のプロチームを創るべく、凄まじい新陳代謝を敢行した。なんと、’51年から'53年の間に34人中26人を解雇やトレードで放出。一方’52年には“四国の怪童”中西太がデビューし高卒で新人王、前年に東急で二冠王の“青バット”大下弘もトレードで獲得した。

        豊田が水戸商業から西鉄に入団したのは中西デビューの翌年、'53年のことで、この年は2年目から外野手のレギュラーとなる高倉照幸、ともに2年目で20勝を挙げる河村久文、西村貞朗らも入団している。
        豊田は1年目からショートのレギュラーで115試合に出場し、打率.281、27本塁打で新人王を獲得。この27本塁打は当時の新人記録で、ついでに言うと失策45という未熟さも露呈。失策に関しては、デビューから5年間で実に195個記録しております。
        この守備のひどさは、エースの川崎徳次が「とにかく豊田のヤツを使わんで下さい。これは、チーム24名全員の意見です」と、三原監督に訴えたほどだったというエピソードを聞けば、拙守ぶりは想像できます。

        翌'54年には1年目からセカンドに定着する仰木彬、さらに'55年に和田博実、若生忠男、玉造陽二が入団、そして’56年には稲尾和久が入団し最優秀防御率(1.06)で新人王を獲得し、豊田が.325で首位打者、中西は本塁打(29本)、打点(95打点)の二冠王。日本シリーズでは巨人を破り、西鉄ライオンズは黄金時代を迎えるのであります。



        豊田は西鉄時代、日本シリーズに4回出場し、’56〜’58年はすべて巨人を破り3連覇、'56年日本シリーズでは24打数10安打で打率.417でMVPに輝いている。
        シリーズ通算打率は.362で、100打席以上の選手では川上哲治の.365に次いで歴代2位。通算の長打率も.638で、長嶋、王に次いで3位と大舞台での勝負強さは圧巻だった。



        豊田の豪快なバッティングフォ〜〜ム! って、このトリミングはどうなのよ。
        斬新すぎるね。



        これ、吉田(阪神)と豊田だと思うんだけどな〜。
        そもそも盤田なんていう選手存在しないと思うんですが。
        違うかな〜?



        非常に地味な面々とのアンカット版。実にジミ。



        一転豪華な面々と。
        スワローズ時代のアンカット版です。


        というわけで、2月12日は豊田泰光76歳の誕生日でありました。
        いつまでもお元気で!


        投手で「準完全試合」、野手で首位打者 田宮謙次郎

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          田宮謙次郎(たみや・けんじろう)
          1928年生まれ
          大阪タイガース(1949〜'58年)/大毎オリオンズ('59〜'63年)
          2002年野球殿堂入り
          2010年没(82歳)



          日大3年の秋シーズン終了後、中退してタイガースに入団した田宮投手。1年目の1949年にはいきなり11勝を挙げた。
          翌年の3月16日対国鉄戦には9回2アウトまでパーフェクトピッチングを続け、迎えた打者・中村栄の当りは、バント警戒で前進していたサード藤村富美男の頭上をふらふらっと越え、あと一人で史上初の「完全試合」の達成はならなかった。この年は結局この1勝だけで、登板数も6試合のみに終った。'51,'52年もそれぞれ5試合の登板で無勝利、'52年途中に学生時代から定評の合った打撃を活かして外野手に転向した。



          野手転向3年目の'54年にレギュラー定着し打率.300。その後、タイガース、オリオンズで打率3割越えを7度記録した。
          長嶋茂雄が1年目の'58年には打率.320で首位打者に。本塁打、打点のタイトルを獲った長嶋の“新人で三冠王”という快挙を阻んだ。



          それにしても豪快に見切れてます。名前が無ければ誰だかわかりませ〜ん。



          大毎時代の田宮謙次郎。だいぶ体形が崩れてきてますね。8年続いていた二桁盗塁が途絶えたころの写真です。


          というわけで、明日2月11日は田宮謙次郎が1928年に生まれた日であります。


          華麗な遊撃手から「管理野球」で名監督に 広岡達朗

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            広岡達朗(ひろおか・たつろう)
            1932年生まれ
            読売ジャイアンツ(1954〜'66年)
            1992年野球殿堂入り



            早稲田大学で六大学野球のスターとして活躍、巨人入団1年目の1954年からショートのレギュラーになり、打率.314でこの年新人王。華麗な守備で鳴らしたが、同時代の阪神に“牛若丸”と呼ばれた吉田義男がいたため、ベストナインを獲得したのは1回だけだった。吉田は9回ベストナインに選ばれている。



            広岡が、より存在感を示すのは指導者となってから。広島、ヤクルトでコーチを経験した後、'76年からヤクルトスワローズ監督に。初年度こそ5位に沈んだが、翌年は2位、そして3年目の'78年にはついにヤクルトを初優勝に導く。しかし、翌'79年には球団と対立し辞任、成績も最下位となった。
            ’82年から西武ライオンズの監督に就任すると、徹底した管理野球で就任1年目で日本一。翌'83年もペナントを制すると、古巣巨人との日本シリーズで死闘を演じた末勝利し、連続日本一に輝いた。


            西鉄・稲尾和久とのツー・ショット。
            初めて日本シリーズでの顔合わせは'56年の第2戦の二回裏、セカンドゴロに倒れている。その後も'57、'58、'63年に対戦し、対戦成績は44打数11安打(.250)。広岡の生涯打率.240を考えるとまずまずか。本塁打も1本打ってるし。



            '58年に長嶋茂雄が入団し、三遊間コンビを組むことに。広岡へのゴロを長嶋がカットして華麗に刺すプレーに巨人ファンは痺れたが、堅実な広岡がいたからこそ長嶋の大胆なプレーが成立したのではないだろうか。



            さあ、問題のツーショット!
            犬猿の仲と言われたこの二人、この頃はまだ関係良好だったのだろうか? 広岡の笑顔が引きつっているように見えるが。
            後に確執は解消されているようで、ひと安心。

            というわけで、本日2月9日は広岡達朗80歳の誕生日です。

            走れ! 赤手袋 柴田勲

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              柴田勲(しばた・いさお)
              1944年生まれ
              読売ジャイアンツ(1962〜''81年)



              盗塁王6回、ベストナイン4回、ダイヤモンドグラブ賞5回、オールスターゲーム12回出場、生涯一度も打率3割を超えずに2000本安打を達成した(柴田と田中幸雄のみ)。
              レフト・高田、センター・柴田、ライト・末次、私が少年時代のジャイアンツ不動の外野陣です。



              法政二高でエースとして活躍、甲子園のスターとして巨人に入団。1年目の開幕2戦目で先発に大抜擢。しかし、その試合ノックアウトされると、その後も6試合(先発3試合)で0勝2敗、防御率9.82で投手失格。野手として生きていくため二軍でスイッチヒッターの猛特訓。翌年には外野手レギュラーになるのだから、ず抜けたセンスがうかがわれる。



              最初の盗塁王は1966年、翌’67年には70盗塁など6回の盗塁王に輝き、通算579盗塁は現在もセ・リーグ記録。甘いマスクと赤手袋、“ドライボーイ”と呼ばれたストレートな発言で、'60年代当時、女性に大変人気があった。
              通算194本塁打とONに次ぐ長打力を誇り、一度だけだが、3番・長島、4番・柴田、5番・王の打順が形成されたことも。


              ルーキー時代のメンコ。確かにモテそうだ。クチビル赤いし!



              これ、目つぶっちゃってるよね。ご愛嬌。

              コーチ時代に三塁コーチスボックスに立った柴田は「壊れた信号機」と呼ばれ、トランプ賭博で逮捕され、釈放会見でトランプのジョーカー柄のセーターで現れるズッコケぶりも見せたが、私が子どもの頃の柴田は、確かにカッコよかったです! よっ! 「銀座の盗塁王」!

              そんなわけで、本日2月8日は柴田勲68歳の誕生日であります。


              【Gartlan Figure 9】ジョー・ディマジオ

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                ジョー・ディマジオ(Joe DiMaggio)
                1914年生まれ
                ニューヨーク・ヤンキース(1936〜'42年、'46〜'51年)
                1955年、アメリカ野球殿堂入り
                1999年没(84歳)



                愛称はヤンキー・クリッパー(Yankee Clipper)、ジョルティン・ジョー(Joltin' Joe)。
                MVPは3回獲得、首位打者2回、本塁打王2回、打点王2回。
                通算13年で2214安打、361本塁打、1537打点、終身打率は.325。
                ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグ後のヤンキース・ヒーロー。英雄であります。

                兄の三男・ビンス、弟の5男・ドムもメジャー・リーガーとなり、1940、’41,’42、’46年には、三兄弟揃ってメジャー・リーグでプレーした。

                引退後はマリリン・モンローと結婚。



                ディマジオといえば、燦然と輝く56試合連続安打という不滅の大記録抜きには語れません。
                世界が戦争へと向かっていく1941年、5月15日の対ホワイトソックス戦で、初回に回ってきた第1打席で、左腕のエドガー・スミスからセンター前にヒットを放ち、セカンドランナーのフィル・リズトーを迎え入れた。
                この日から記録が途絶える7月17日対インディアンス戦までの2ヶ月間ヒットを打ち続け、ニュース・アナウンサーは、ヨーロッパでの戦争を伝えた後、必ずこう付け加えたという。
                「なお、ジョー・ディマジオは本日もヒットを放ち、ストリークを……」。
                この56試合で、ディマジオは223打席に立ち、91安打、15本塁打を放った。この間の打率は.408、長打率は.717と打ちまくった。

                実はディマジオ、3Aサンフランシスコ・シールズ時代の'33年に、61試合連続安打というとてつもない記録を残している。凄すぎます。



                作家アーネスト・ヘミングウェーの名作『老人と海』で、カジキマグロとの死闘を続ける老人が語るこんなセリフがある。
                「彼はメジャー・リーグのことを考えた。彼は思い出す。今日はニュヨーク・ヤンキースとデトロイト・タイガースの試合が行われているはずだ。“大ディマジオ”は踵のケガをかかえているのに、それをこらえて最後まで勝負をやり抜く男だ。俺だって負けちゃいられねぇ。」

                また、映画『卒業』の挿入歌としてサイモン&ガーファンクルが歌った『ミセス・ロビンソン』には、
                「ジョー・ディマジオ、君はどこに行ってしまったんだ。国中が君にさびしい目を向ける。
                ジョルティン・ジョーはもう行ってしまってここにはいない。」
                という歌詞が登場する。
                ディマジオ他界後、ヤンキースタジアムで行われたディマジオの額の除幕式で、ポール・サイモンがこの歌を歌った。



                '51年、全米オールスターチームの中心選手として、最初で最後の日本でのプレーを披露した。
                11月10日の対全セ・リーグ戦で、杉下(中日)から本塁打を放ったが、試合後に「すぐに帰国せよ」との電報が。翌日に戻ったニューヨークで解雇通告を受けたため、この日本で放ったアーチが生涯最後の本塁打となった。

                というわけで、本日はガートラン・フィギュアからジョー・ディマジオをご紹介しました。




                ’50〜'60年年代ホエールズの“顔” 秋山登

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                  秋山登(あきやま・のぼる)
                  1934年生まれ
                  大洋ホエールズ(1956〜'67年)
                  2000年没(66歳)
                  2004年野球殿堂入り



                  通算(12年)193勝171敗。新人王(1960年)、MVP1回('60年)、ベストナイン1回('60年)。入団から4年連続最多敗戦、すべて20敗以上と弱小大洋ホエールズで孤軍奮闘。報われたのは5年目の'60年。三原監督の一年目に一転、最高勝率でホエールズの初優勝に貢献した。



                  入団から9年連続で50試合以上に登板し、9年連続二桁勝利、そのうち20勝以上は6回、「カミソリシュート」と速球を武器としたタフな横手投げ投手だった。高校の後輩で秋山と入れ替わるように大洋のエースとなった平松政次の決め球「カミソリシュート」は有名だが、初代はこの人、秋山登。



                  '75,'76年とホエールズの監督を務めたが、5位、6位と結果は残せなかった。
                  監督当時の主なメンバーは、エース平松、捕手は福島久晃、伊藤勲のツープラトン。内野は松原誠(一塁)、シピン(二塁)、ボイヤー(三塁)、山下大輔(遊撃)、外野は江尻亮、中塚政幸、長崎慶一。
                  打線は良かったんですがね……。



                  これは'60年頃、晩年の別所(巨人)とのツーショット。

                  というわけで、本日2月3日は秋山登が1934年に生まれた日でありました。



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