ジョー・ディマジオ(Joe DiMaggio)
1914年生まれ
ニューヨーク・ヤンキース(1936〜'42年、'46〜'51年)
1955年、アメリカ野球殿堂入り
1999年没(84歳)
愛称はヤンキー・クリッパー(Yankee Clipper)、ジョルティン・ジョー(Joltin' Joe)。
MVPは3回獲得、首位打者2回、本塁打王2回、打点王2回。
通算13年で2214安打、361本塁打、1537打点、終身打率は.325。
ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグ後のヤンキース・ヒーロー。英雄であります。
兄の三男・ビンス、弟の5男・ドムもメジャー・リーガーとなり、1940、’41,’42、’46年には、三兄弟揃ってメジャー・リーグでプレーした。
引退後はマリリン・モンローと結婚。
ディマジオといえば、燦然と輝く56試合連続安打という不滅の大記録抜きには語れません。
世界が戦争へと向かっていく1941年、5月15日の対ホワイトソックス戦で、初回に回ってきた第1打席で、左腕のエドガー・スミスからセンター前にヒットを放ち、セカンドランナーのフィル・リズトーを迎え入れた。
この日から記録が途絶える7月17日対インディアンス戦までの2ヶ月間ヒットを打ち続け、ニュース・アナウンサーは、ヨーロッパでの戦争を伝えた後、必ずこう付け加えたという。
「なお、ジョー・ディマジオは本日もヒットを放ち、ストリークを……」。
この56試合で、ディマジオは223打席に立ち、91安打、15本塁打を放った。この間の打率は.408、長打率は.717と打ちまくった。
実はディマジオ、3Aサンフランシスコ・シールズ時代の'33年に、61試合連続安打というとてつもない記録を残している。凄すぎます。
作家アーネスト・ヘミングウェーの名作『老人と海』で、カジキマグロとの死闘を続ける老人が語るこんなセリフがある。
「彼はメジャー・リーグのことを考えた。彼は思い出す。今日はニュヨーク・ヤンキースとデトロイト・タイガースの試合が行われているはずだ。“大ディマジオ”は踵のケガをかかえているのに、それをこらえて最後まで勝負をやり抜く男だ。俺だって負けちゃいられねぇ。」
また、映画『卒業』の挿入歌としてサイモン&ガーファンクルが歌った『ミセス・ロビンソン』には、
「ジョー・ディマジオ、君はどこに行ってしまったんだ。国中が君にさびしい目を向ける。
ジョルティン・ジョーはもう行ってしまってここにはいない。」
という歌詞が登場する。
ディマジオ他界後、ヤンキースタジアムで行われたディマジオの額の除幕式で、ポール・サイモンがこの歌を歌った。
'51年、全米オールスターチームの中心選手として、最初で最後の日本でのプレーを披露した。
11月10日の対全セ・リーグ戦で、杉下(中日)から本塁打を放ったが、試合後に「すぐに帰国せよ」との電報が。翌日に戻ったニューヨークで解雇通告を受けたため、この日本で放ったアーチが生涯最後の本塁打となった。
というわけで、本日はガートラン・フィギュアからジョー・ディマジオをご紹介しました。