ダリル・ストロベリー(Darryl Strawberry)
1962年生まれ
ニューヨーク・メッツ(1983〜’90年)/ロサンゼルス・ドジャース(’91〜’93年)/サンフランシスコ・ジャイアンツ(’94年)/ニューヨーク・ヤンキース(’95〜’99年)
ダリル・ストロベリー、20歳代であった’80年代は確かにニューヨークのヒーローでありました。しかし、’80年代後半からストロベリーは数々の問題を起こすこととなります。
女性問題を起こし、勝手に試合を休み行方不明になり、多額の申告漏れで起訴され、コカイン陽性反応で出場停止になり、女性警官のおとり捜査に引っかかり、再びコカイン陽性反応……。
その後、癌で腎臓移植手術を受け、その痛みを和らげる鎮痛剤を飲んで車を運転、意識を失い車に衝突。
ここまで問題の多い野球選手はそうそういませんよ。あ、同じチームの同年代、ドワイト・グッデンがいたか。
色々と問題の多かったストロベリーですが、1983年はシーズン途中にメジャー昇格すると26本塁打74打点を挙げ新人王に輝いております。
その後9年連続20本以上の本塁打を放ち、100打点以上も3回、’86年には39本塁打36盗塁で「The 30-30 Club」の仲間入り、’88年は39本塁打で本塁打王、ここら辺までは、さすが高校時代「黒いテッド・ウィリアムス」と言われただけのことはある活躍ぶりでありました。
今から15年ほど前ニューヨークに行ったときのこと、着いたその日は野球観戦の予定はなく、スポーツバーでテレビ観戦しようと店に入ると、なんとヤンキースの先発がドワイト・グッデンではありませんか。試合は中盤にさしかかろうとしておりましたが、居ても立ってもいられず地下鉄に乗りヤンキースタジアムへ。
試合中のブロンクスは歩いている人などおらず、アメリカ映画なら必ずここで銃声が響くよな、という雰囲気の中、これまたいかにも危なそうな巨漢ブラックのお兄さまからチケットを購入しスタジアム内へ。
試合はすでに終盤でヤンキースのチャンス。そのときスタジアム中のヤンキースファンが総立ちで熱狂するではありませんか。ベンチを見るとウェイティングサークルにストロベリーが登場! しかし、前の打者が倒れ惜しくも打順は回ってこなかったが、ストロベリーの人気が健在だったことに身体が震えたのを思い出します。
台座はイチゴ型です(笑)。
というわけで、本日はガートラン・フィギュアのダリル・ストロベリーをご紹介しました。