「ホークスを支えたサイドスロー」杉浦忠

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    杉浦忠(すぎうら・ただし)
    1935年生まれ
    南海ホークス(1958~’70年)
    1995年野球殿堂入り
    2001年没(66歳)



    後年は右腕の血行障害で200勝はならなかったが、ホークス一筋で通算187勝を挙げた。

    入団から7年連続二ケタ勝利、そのうち20勝以上が5回、30勝以上も2回と圧巻!
    入団1年目は27勝12敗、防御率2.05で新人王。翌2年目はさらに凄く、38勝4敗と勝率はなんと.905! 防御率も1.40でMVP。さらにこの年の日本シリーズでは伝説となった4連投4連勝の大活躍で、立教大の同級生長嶋が主軸を打つ巨人を一蹴、シリーズのMVPにも輝いた。


    子どものころは野球選手としては冴えないメガネ姿だと思っていたが、今あらためて見るとお洒落じゃぁないか。


     
    アンカットメンコに収められた一枚。前を走らされているのは若き日のノムさん(おそらく)。



    「ケンカ八郎」こと東映フライヤーズ・山本八郎とのツーショットメンコ。この二人を組み合わせた理由がわからん。





    杉浦の美しいフォームがよくわかるメンコはなかなか無いんですな。どれも振りかぶったところやポーズをつくっているものばかり。その中でもこの2枚はフォームが想像しやすい方かな。


    というわけで、今月17日は杉浦忠が1935年に生まれた日でありました。


    「フォオークボールの神様」杉下茂

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      杉下茂(すぎした・しげる)
      1925年生まれ
      中日ドラゴンズ/名古屋ドラゴンズ/中日ドラゴンズ(1949~’58年)ー 大毎オリオンズ(’61年)
      1985年野球殿堂入り





      最多勝2回、沢村賞3回、通算215勝の’50年代ドラゴンズの大エース。揺れて落ちるナックルボールに近い動きをするフォークボールが特徴だった日本初のフォークボーラー。その後、村山実、村田兆治、野茂英雄、佐々木主浩らへと日本のフォークボーラーの系譜は受け継がれていくが、現在86歳になっても指導への情熱は衰えず、春季キャンプでは各チームを廻り次世代の投手育成に余念が無い。脱帽。
      東海地区では中日スポーツ紙上での連載中のコラム『伝える』を楽しみにしているファンも多いことでしょう。



      児玉泰投手とのツー・ショット。杉下がドラゴンズに在籍したのが現役として'58年までと監督として'59、'60年で、児玉の姓は’57年まで空谷だったところから、このメンコは'58~’60年のものではないかと。


        
      別当、大下、川上、杉下、小鶴、西沢! う〜ん、ワクワクするラインナップでまとめられたアンカットのメンコ。



      このメンコは、イラストのタッチ、カラーともに素晴らしい! 私がもっとも気に入っている一枚です。

      というわけで、今月17日は杉下茂86歳の誕生日でした。



      巨人軍史上最高の遊撃手? 平井三郎

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         平井三郎(ひらい・さぶろう)
        1923年生まれ
        阪急ブレーブス(1948〜’49年)/西日本パイレーツ(’50年)/読売ジャイアンツ(1951〜’57年)
        1969年没(45歳)



        実はこの平井三郎のことはほとんど知らない。
        今回調べてみたら、心臓弁膜症のため34歳で引退しているんだな。その後、近鉄、阪神のコーチを経て、名古屋で現役時代の背番号にちなんだ「エイト」という喫茶店を営んでいたそうな。亡くなったときは45歳という若さ。
        打撃はパイレーツ時代の1950年に一度だけ3割を超えているが、特に目立った数字は残っていない。しかし、ジャイアンツでは広岡達朗が入団するまでレギュラーで、3年連続遊撃手のベストナイン選出とオールスター出場を果たしているからこの時代を代表する選手だったことは間違いない。
        水原茂は’76年当時にジャイアンツのベストナインを選んだ際、遊撃手は平井を選んでいたそうである。


        167cmの身長といい、この打撃フォーム画像からはあまりパワーは感じられない。でも、調べてみると’53年は11本塁打なんだな。この年は主にトップバッターとして活躍したようだ。
        ’53年の日本シリーズでの平井の打撃映像がYouTubeにあったのでペタリ。
        http://www.youtube.com/watch?v=6hHJvwYsVi4


        というわけで、先週の話しですが9月4日は平井三郎が1923年に生まれた日でありました。


        ミスタードラゴンズ 西沢道夫

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          西沢道夫(にしざわ・みちお)
          1921年生まれ
          名古屋軍 - 中部日本軍(1937~’43年、’46年)/ゴールドスター - 金星スターズ(’46~’48年)/中日ドラゴンズ - 名古屋ドラゴンズ - 中日ドラゴンズ(’49〜’58年)
          1977年野球殿堂入り
          1977年没(56歳)



          西沢道夫が名古屋軍に投手として入団したのは、なんと15歳のときというから驚きである。初登板は16歳と4日でプロ野球史上最年少記録。
          投手としては世界最長の28回を311球完投や、ノーヒットノーランを記録するが、復員後は肩の故障もあり思うような成績が挙げられず、ゴールドスターに移籍し、一塁手に転向した。
          その後中日に戻り主砲として活躍することに。
          投手として20勝、打者として40本塁打を記録した選手は日本プロ野球史上ただひとり。まさにミスタードラゴンズである!




          1950年に46本塁打を記録した西沢(右)であったが、松竹ロビンス・小鶴誠(左)の51本塁打に及ばずタイトルを逃す。このブロマイドは小鶴がスターズに在籍したのが1年だけであることから、本塁打王争いの前年’49年の写真を使用したものとわかる。


          ドラゴンズ三人衆! 西沢と井上登、それと奥でバットを振るは杉山悟か?



          もはや名前など要らぬ! ドラゴンズ文字が入っていてバットを振っていれば、それは、ミスタードラゴンズ・西沢道夫なのである!



          誰って? ドラゴンズのユニフォーム着てバットを振っていれば、それは、ミスタードラゴンズ・西沢道夫に決まっておる!


          というわけで、ちょっと前のことですが、9月1日は西沢道夫が1921年に生まれた日でありました。


          【ボビンヘッド その14】ボストン・レッドソックス

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            本日はボストン・レッドソックスのボビンヘッドをご紹介いたします。




            ボストン・レッドソックスは1901年にボストン・アメリカンズとして設立され、1908年からレッドソックスと名乗る伝統のある人気球団。
            リーグ優勝は12回、ワールドチャンピオンは7回を数えるが、1918年から2004年まで86年もの間ワールドチャンピオンから遠ざかっておりました。
            これは経営難のために、前年記録を大幅に塗り替え本塁打王に輝いたベーブ・ルースを、1920年に二束三文で当時弱小球団だったヤンキースに売り飛ばした「バンビーノの呪い」のせいだと長い間言われてきました(バンビーノとはルースの愛称)。

            本拠地のフェンウェイパークはメジャー最古の球場で、レフトフェンスが”グリーンモンスター”と呼ばれる高い壁になった特徴的で非常に魅力的な球場である。市街地の中心にあるため小さく、席数も少ないため最もチケット入手困難な球場で、特に宿敵ヤンキース戦はプラチナチケットとなっております。
            運良くチケットが取れたら開門よりもかなり早くスタジアムに行き、周りのバーでひと盛り上がりすることをオススメします。う〜ん、また行きたい!




            レッドソックスの永久欠番を列挙すると

            ● 1 ボビー・ドーア (Bobby Doerr)二塁手
            ● 4 ジョー・クローニン (Joe Cronin)遊撃手
            ● 6 ジョニー・ペスキー (Johnny Pesky)内野手
            ● 8 カール・ヤストレムスキー (Carl Yastrzemski)外野手
            ● 9 テッド・ウィリアムズ (Ted Williams)外野手
            ● 14 ジム・ライス (Jim Rice)外野手
            ● 27 カールトン・フィスク (Carlton Fisk)捕手

            この中で現役時代を記憶しているのは、メジャー最後の三冠王ヤストレムスキー、ヤストレムスキーの後グリーンモンスターの前を守った強打者ライス、そして1975年のワールドシリーズ第6戦のサヨナラホームランが語り継がれるフィスクの三人。
            コレクターの世界でレッドソックスの人気選手といえば、何と言っても”打撃の神様”テッド・ウィリアムズ。テッド・ウィリアムズ絡みの商品は、味のあるものが数多く残されているので、いずれ少しずつご紹介したいと思います。



            というわけで、本日は1965~’72年の間製造されていた"BAseball Round gold bases"という種の、ボストン・レッドソックスのボビンヘッドをご紹介いたしました。

            そういえば、マイナーも含めると松坂、岡島、田沢と、三人も日本人選手が在籍してるんだよな……。
            松坂の復活はあるのか?!


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