【ボビンヘッド その13】シンシナチ・レッズ

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    今回はシンシナチ・レッズのボビンヘッドのご紹介。
    ヒゲが勇ましいが表情はかわいらしい"Mr.Red"です。



    シンシナチ・レッズは全米最古のプロ球団、シンシナチ・レッドストッキングスを前身とする伝統のあるチーム。その長い歴史の中で最も輝いたのは1970年代の”ビッグレッドマシーン”と呼ばれた時代でしょう。
    私の記憶に鮮明に刻まれた、個性あふれる’75年の黄金のラインナップをここに記すと、

    C ジョニー・ベンチ
    1B トニー・ペレス
    2B ジョー・モーガン
    3B ピート・ローズ
    SS デーブ・コンセプシオン
    LF ジョージ・フォスター
    CF シーザー・ジェロニモ
    RF ケン・グリフィー・シニア

    素晴らしい……。



    レッズの永久欠番を列挙すると

    ● 1 フレッド・ハッチンソン (Fred Hutchinson)
    ●  5 ジョニー・ベンチ (Johnny Bench)
    ●  8 ジョー・モーガン (Joe Morgan)
    ●  10 スパーキー・アンダーソン (Sparky Anderson)
    ●  13 デーブ・コンセプシオン (Dave Concepcion)
    ●  18 テッド・クルズースキー (Ted Kluszewski)
    ●  20 フランク・ロビンソン (Frank Robinson)
    ●  24 トニー・ペレス (Tony Perez)

    やはりここにピート・ローズの”14”がないのは本当に悲しい……。



    ’78年の日米野球でレッズが来日したときの対巨人戦、当時3年目の若手だった中畑清が翌年からの飛躍のきっかけとなる一発を放った場面は、今でも鮮明に思い出されます。



    今回は1960〜’61年に生産されたボビンヘッド、シンシナチ・レッズの"Baseball Square Colored Bases"でした。



    “球界の紳士”別当薫

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      別当薫(べっとう・かおる)
      1920年生まれ
      大阪タイガース(1948~’49年)/毎日オリオンズ(’50~’57年)
      1988年野球殿堂入り
      1999年没(78歳)





      当時の別当薫の人気ぶりは、メンコ、ブロマイドとして印刷されたその種類の多さを見ればよくわかる。おそらく川上、大下と並んで、このメンコ、ブロマイドの世界では横綱クラス。
      東京六大学、慶応大のスターとして活躍し、1947年に大阪(阪神)入団。1年目から打ちまくり、打率.328と首位打者に手が届くところまでいったがケガで離脱。2年目となる翌’49年にも.322、39本塁打、126打点の活躍。129得点は最多だった。
      ところが、このオフの2リーグ分裂騒動で毎日に引き抜かれ移籍。それでも別当のバットは益々冴え、移籍初年度の成績は打率.335、43本塁打、105打点で本塁打、打点の二冠王、加えて34盗塁で球界初の「3割・30本・30盗塁」を記録。パ・リーグ初代MVPに輝いた。
      現役生活は10年と短かったが、監督としては監督代行、選手兼任も含め19年、毎日/大毎 - 近鉄 - 大洋 - 広島 - 大洋で指揮をとった。しかし、通算1000勝以上の監督で優勝を経験していないのは別当ただ一人とペナントには縁がなかった。

      私が記憶している別当は、大洋監督時代に田代富雄を育てたことと、「HOYAバリラックスII」のCMで微笑む細面の紳士としての別当。スポーツ刈りか角刈りの強面球界人が多い中、とても元プロ野球選手とは思えないその雰囲気に、「やっぱり慶応ボーイは違うな」と知ったような口を叩いたもんである。



      モノクロ写真に着色したブロマイド。気になるのはベルト。このバックルはやけにオシャレすぎやしないかい?



      斜め後からの別当ふたつ。



      この別当は美少年。たいがい老けた顔で描かれている中で、この一枚は希少。



      水原との共演。しかし、名前が書いてなければ誰かはまったくわからないほど似ていない。水原の方が10歳年上だが、この別当の貫録っぷり。さすが“球界の紳士”。


      というわけで、本日8月23日は1920年に別当薫が生まれた日でありました。


      【ボビンヘッド その12】ミネソタ・ツインズ

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        本日は、ミネソタ・ツインズのボビンヘッド2体のご紹介です。

        ツインズは1901年、アメリカンリーグ創設時にワシントン・セネタースとして発足。
        セネタース時代の有名選手といえば「人間機関車」ウォルター・ジョンソン。ジョンソンは弱小セネタースを引っ張り、1924年にはついにワールドチャンピオンとなった。現役21年間で通算417勝279敗、生涯防御率2.17、3508奪三振、110完封、20勝以上12度、防御率2.00以下の年が11度という驚異的な成績を残した。
        その後1961年、ミネアポリスに本拠地を移しミネソタツインズとなった。
        セネタース時代も含めると、リーグ優勝6回、ワールドシリーズ3回制覇を記録している。



        ツインズの永久欠番となった選手を列挙すると、

        ● 3 ハーモン・キルブルー (Harmon Killebrew)一塁手
        ● 6 トニー・オリバ (en:Tony Oliva)外野手
        ● 14 ケント・ハーベック (Kent Hrbek)一塁手
        ● 28 バート・ブライレブン(Bert Blyleven)投手
        ● 29 ロッド・カルー (Rod Carew)二塁手
        ● 34 カービー・パケット (Kirby Puckett)外野手

        カービー・パケットは私の大好きな選手のひとり。豆タンクのような体つきでパワーとスピードを兼ね備えた強打者で、首位打者、打点王をそれぞれ1回獲得。緑内障を患い現役生活は12年と短かったが、通算打率.318は20世紀のア・リーグ最高記録。2006年に45歳の若さで亡くなったのは惜しまれる。





        左は1961年製の"Baseball Suquare Colored Bases"という種類のボビンヘッド。
        右は’65〜’72年の間に製造された"Baseball Round Gold Bases"。



        エースとして、監督として巨人を支えた藤田元司

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          藤田元司(ふじた・もとし)

          1931年生まれ
          読売ジャイアンツ(1957〜’64年)
          1996年野球殿堂入り
          2006年没(74歳)


           

          「非運のエース」と呼ばれた藤田元司。
          六大学野球のスター選手として活躍した慶応大時代は通算31勝を挙げるも優勝は1年春の1回だけ。
          日本石油を経て巨人に入ってからも、一年目から17勝、24勝、24勝と大活躍するが、日本シリーズでは勝ちに結びつかず、1958年の日本シリーズでは6試合に登板し防御率1.09にもかかわらず1勝2敗。翌’59年には3試合連続で先発したが2敗、相手のエース南海・杉浦忠は4連投4連勝だった。

          そんな藤田も’81年長嶋茂雄監督の解任を受けて巨人の監督になると、王貞治助監督、牧野茂ヘッドコーチと「トロイカ体制」で日本一に輝く。そして’88年、今度は王監督が解任されると監督に復帰。またも就任一年目で日本一に。
          かつて「非運のエース」と呼ばれた男は、2度にわたって監督として巨人の大ピンチを救った。



          満面の笑みの藤田。そして、後にはノムさん(野村克也)があしらわれた極上品。
          しかし、ノムさんはこういう扱われ方が多いな。



          こちらも笑顔の素敵な「非運のエース」。アナゴさんじゃないよ。



          これまた素晴らしい! 阪神・遠井吾郎とのセット。
          「非運のエース」と「仏のゴローちゃん」との共演です。


          というわけで、藤田元司のメンコをご紹介いたしました。

          先週のことですが……8月7日は藤田が1931年に生まれた日でした。

          【ボビンヘッド その11】アトランタ・ブレーブス

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            今回は半開きの目がチャームポイント、とぼけた顔が愛らしいアトランタ・ブレーブスのボビンヘッドをご紹介。

             

            ブレーブスは1871年創設の球団ですが、創設時の球団名はボストン・レッドストッキングズ。ボストンを本拠地としていた1952年までにチーム名を「ビーンイーターズ」→「ドゥーブス」→「ラスラーズ」→「ブレーブス」→「ビーズ」→「ブレーブス」と変更し、’53年に本拠地をミルウォーキーに移し「ミルウォーキー・ブレーブス」となり、’66年からは現在のアトランタに本拠地を構えている。
            ブレーブスといえばなんといっても黄金の’90年代。監督はボビー・コックス、先発三本柱はグレッグ・マダックス、トム・グラビン、ジョン・スモルツ。野手ではデービッド・ジャスティス、ロン・ガント、フレッド・マグリフ。そして、チッパー・ジョーンズ! ’91年から2005年まで15年連続地区優勝、その間リーグ優勝5回、’95年にはワールドチャンピオンに輝いている。



             ブレーブスの永久欠番を列挙すると

            3 デール・マーフィー捕手・一塁手・外野手 (Dale Murphy)
             6 ボビー・コックス監督 (Bobby Cox)
            21 ウォーレン・スパーン投手 (Warren Spahn)
            31 グレッグ・マダックス投手 (Greg Maddux)
            35 フィル・ニークロ投手 (Phil Niekro)
            41 エディ・マシューズ三塁手 (Eddie Mathews)
            ※42 ジャッキー・ロビンソン (Jackie Robinson)
            44 ハンク・アーロン外野手 (Hank Aaron)
             47 トム・グラビン投手 (Tom Glavine)

            この中で、コレクター達に人気なのはアーロンとマシューズ。二人がブレーブスで一緒にプレーしたのは13年間。この間に二人が放った本塁打は合計863本! アーロンの通算755本はMLB史上に燦然と輝くが、マシューズの通算512本も、マイク・シュミットに抜かれるまで三塁手の最高記録として君臨していた!




            このボビンヘッドは、渋谷のバックドロップで購入したもの。’90年代のバックドロップはまだ2階でスポーツ・メモラビリアを販売していたんだよなぁ。結構掘り出し物が見つかるんで、足しげく通った場所です。



            それにしても状態が悪いです。ペイントの剥げは見るたびに悪化している……。

            というわけで、本日は1955〜’72年に発売されていたボビンヘッド、"Round gold bases"のアトランタ・ブレーブスでした。

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