「投げる精密機械」小山正明

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     小山正明(こやま・まさあき)
    1934年生まれ
    大阪タイガース ー 阪神タイガース(1953〜’63年)/東京オリオンズ ー ロッテオリオンズ(’64〜’72年)/大洋ホエールズ(’73年)
    2001年野球殿堂入り



    歴代3位の320勝、290完投は歴代5位、バツグンの制球力で「投げる精密機械」と呼ばれた小山正明。
    1953年阪神入団から11年で176勝、4度の20勝以上と大黒柱として村山実とともに支えていたが、’63年強打者が欲しい阪神と、エースが欲しい大毎との間で小山と山内一弘の「世紀の大トレード」が成立。
    しかし、狭い東京球場に移っても投球は冴え渡り、移籍初年度から30勝、20勝、20勝と3年連続20勝以上と大活躍、オリオンズでの9年間でも140勝を挙げた。



    モノクロ写真に着色したメンコ。あー、阪神の帽子とストッキングが赤くなっちゃってます……。



    こちらはアンダーシャツが赤くなっちゃってるよ〜。まあ、「せっかく色着けるんだからちょっと色味が欲しいよね」っていう制作側の気持ちもわからんではないが。



    やっぱりユニフォームの色は現実に近い方が落ち着くね。


    というわけで、昨日7月28日は小山正明76歳の誕生日でした。


    元祖・親分はこの人、鶴岡一人

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       鶴岡一人(つるおか・かずと(かずんど))
      1946〜’58年まで山本一人
      1916年生まれ
      南海軍 ー 近畿グレートリング ー 南海ホークス(1939、’46~’52年)
      ’65年野球殿堂入り
      2000年没(83歳)



      選手としては実働8年と短いが、本塁打王1回、打点王1回、MVP3回の南海の主砲。
      しかし、南海を率いて黄金時代を築いた名監督として語られることの方が多いだろう。
      1946年からプレーイングマネージャー、’53年から専任監督となり’68年まで、なんと23年間南海の監督を務めた。
      監督としての通算勝利は最多の1773勝(1140敗81分け)、勝率も最高の.609。優勝は11回を数える、ドン鶴岡!



      阪神・若林忠志投手とツー・ショットのブロマイド。南海の帽子のマークが小文字の「n」なのがかわいい。目つきは恐いが。



      この型抜きメンコは顔も似ていて、なかなかの美品。迫力あります。親分!



      コミカルなイラストのメンコですが、鶴岡らしい迫力ある表情に描かれています。
      私が所有しているメンコ、ブロマイド類はすべて山本姓のときのもの。やはり’50年代がメンコの全盛期だったことがわかりますね。


      というわけで、昨日7月27日は1916年に鶴岡一人が生まれた日でした。


      華麗な守備の“今牛若丸” 吉田義男

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        吉田義男(よしだ・よしお)
        1933年生まれ
        大阪タイガース - 阪神タイガース(1953〜’69年)
        ’92年野球殿堂入り



        現役時代は俊足・巧打・好守のショートとして16年間タイガースのレギュラーを張った。
        その華麗な守備についたあだ名は“今牛若丸”!
        そして、阪神監督としては1985年にバース、掛布、岡田を擁し21年ぶりの優勝! よっ! よっさん!
        さらに、’90年〜’95年まではフランス代表の監督! よっ! ムッシュ!



        この2枚は同じ写真を使ったメンコ。それにしても若い頃のよっさんは少年野球の選手だな、こりゃ。167cm(公称)もないんじゃないかな?



        そして、このアンカットに含まれている左の2枚、共に長嶋との共演であるが、上のは完全に小学生だよね? かっわいいなぁ〜。よっさん。

        というわけで、昨日7月26日は吉田義男78歳の誕生日でした。おめでとうございます。

        あれ?! オレの母親と生年月日同じなんだ! ムッシュ!

        「円城寺 あれがボールか秋の空」ホークスの赤鬼ジョー・スタンカ

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           ジョー・スタンカ
          1931年生まれ
          シカゴ・ホワイトソックス(1959年)/南海ホークス(1960~’65年)/大洋ホエールズ(1966年)

          日本プロ野球、実働7年で100勝をあげたジョー・スタンカ。1964年には26勝7敗でMVPに輝き、その年の阪神との日本シリーズでは1・6・7戦に先発しいずれも完封の離れ業、シリーズのMVPも獲得した。



          スタンカといえば語り草になっているのが’61年の巨人との日本シリーズ。
          1点リードの9回裏にリリーフ登板したスタンカは、2死までこぎ着けたものの二つのエラーが重なり満塁に。ここで迎えた5番の宮本敏雄に対して、2ストライク1ボールから自信を持って投げ込んだフォークボールをを円城寺満球審は「ボール」と判定。
          キャッチャー野村がマスクをたたきつけ抗議、スタンカもマウンドを駆け降り円城寺球審に詰め寄ったが判定は変わるはずもなく……。次の投球をライト前にサヨナラヒットを浴びたスタンカはホームベース・カバーに入るついでに円城寺球審に体当たり! 気持ちはわからんでもないが。
          後にこの試合を観ていた商社マン(この人の詳細はわからず)が、実業家になっていたスタンカに次の句がしたためられた色紙を送ったという。
          「円城寺 あれがボールか秋の空」。



          ちょっと遅くなりましたが、7月23日はジョー・スタンカ80歳の誕生日でした。

          【ボビンヘッド その10】ピッツバーグ・パイレーツ

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            今回はピッツバーグ・パイレーツのボビンヘッドを。
            パイレーツでありますから海賊のキャラクターなのですが、なんとも愛くるしいお顔でございます。頬のキズさえもチャーミングに見えるアメリカのキャラクターらしい一品です。



            ピッツバーグ・パイレーツは1882年創設、ワールドシリーズ5回制覇の名門チーム。
            第1回ワールドシリーズにも出場していて、このときはボストン・アメリカンズ(現レッドソックス)に敗れている。
            パイレーツの黄金時代は70年代。ロベルト・クレメンテやウィリー・スタージェルを擁したチームは私も大のお気に入りで、この当時のパイレーツものはいくつか所有しておりますのでまたの機会にご紹介したいと思います。



            パイレーツの永久欠番を列挙すると(42 ジャッキー・ロビンソンいを除く)

             1 ビリー・マイヤー監督 (Billy Meyer)
             4 ラルフ・カイナー外野手 (Ralph Kiner)
             8 ウィリー・スタージェル一塁手/外野手 (Willie Stargell)
             9 ビル・マゼロスキー二塁手 (Bill Mazeroski)
             11 ポール・ウェイナー外野手 (Paul Waner)
             20 パイ・トレイナー三塁手 (Pie Traynor)
             21 ロベルト・クレメンテ外野手 (Roberto Clemente)
            33 ホーナス・ワグナー遊撃手 (Honus Wagner)
            40 ダニー・マートー内野手/監督 (Danny Murtaugh)

            この中でもロベルト・クレメンテはコレクター界の大関・横綱クラス。首位打者4度の名プレイヤーというのはもちろんのこと、その人生の終り方が今でもファンの心に残っている最大の理由です。
            クレメンテは1972年の残り4試合というところで通算3000本安打を達成。そのオフ・シーズンの12月23日ニカラグアで大地震が発生、翌日救援物資を届けるためクレメンテが乗った小型機がカリブ海に墜落。遺体が発見されることはなかった。
            クレメンテは生前、慈善活動を熱心に行っており、現在、慈善活動を行った選手に与えられる賞は「ロベルト・クレメンテ賞」と名付けられ、MVPに匹敵する名誉となっています。




            今回ご紹介したのは1965~’72年に発売された"Round gold bases"シリーズのピッツバーグ・パイレーツでした。

            【ボビンヘッド その9】ヤンキース/ブラック・フェイス

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              本日はちょっと珍しいボビンヘッドを。
              これは1962年〜’64年に全19種類が販売された"Black Baseball"というシリーズです。
              普通のボビンヘッドの型を使い、肌を黒く塗っただけのものもありますが、このヤンキースはブラックフェイス独自の型で、表情もそれらしく仕上がっております。


              普通のボビンヘッドは思いっきりの笑顔なのですが、これは遠い空を見つめるような力強い表情。


              髪の塗り方も白人のものとは違うタッチに。


              ジャッキー・ロビンソンが黒人初のメジャーリーガーとしてデビューしたのが1947年。ヤンキース最初の黒人プレイヤーは、’55年デビューのエルストン・ハワード捕手で、最後まで黒人選手を入団させていなかったレッドソックスも'59年にバンプシー・グリーンを獲得。この"Black Baseball"シリーズが出る3年前にはメジャーリーグ全球団で黒人選手がプレーしており、ワールドチャンピオンとなった’77年のヤンキースのラインナップには6人もの黒人選手が名を連ねておりました。’60~’70年代はアフリカ系アメリカ人選手が大活躍した時代でありました。
              しかし、現在はバスケットボール、フットボールに人材を持っていかれる形となり、メジャーリーガーでアフリカ系アメリカ人の占める割合は10.2%にまで減少してしまいました。
              中南米の選手が大活躍し、アフリカ系アメリカ人のスター、ケン・グリフィーJr.が引退した今、アトランタ・ブレーブスの若手ジェイソン・ヘイワードの活躍に期待ですね。

              【ボビンヘッド その8】ニューヨーク・ヤンキース

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                今回はニューヨーク・ヤンキースのボビンヘッドを。
                これは他のシリーズとはちょっと違った顔つきで、なかなか趣ありです。


                斜に被ったキャップがBaseball Kidsらしさを強調! 思いっきりストッキングを見せたジャッキー・ロビンソンスタイルもイカす!



                ヤンキースというチームを今さら紹介するのも野暮なんで、永久欠番で歴代名選手、監督をご紹介

                    * 1 ビリー・マーチン(二塁手、監督)(1986年)
                    * 3 ベーブ・ルース(外野手)(1948年)
                    * 4 ルー・ゲーリッグ(一塁手)(1939年)
                    * 5 ジョー・ディマジオ(外野手)(1952年)
                    * 7 ミッキー・マントル(外野手)(1969年)
                    * 8 ビル・ディッキー(捕手)(1972年)
                    * 8 ヨギ・ベラ(捕手、監督)(1972年)
                    * 9 ロジャー・マリス(外野手)(1984年)
                    * 10 フィル・リズトー(遊撃手)(1985年)
                    * 15 サーマン・マンソン(捕手)(1979年)
                    * 16 ホワイティー・フォード(投手)(1974年)
                    * 23 ドン・マッティングリー(一塁手)(1997年)
                    * 32 エルストン・ハワード(捕手)(1984年)
                    * 37 ケーシー・ステンゲル(監督)(1970年)
                    * 42 ジャッキー・ロビンソン(二塁手)(1997年)
                    * 44 レジー・ジャクソン(外野手)(1993年)
                    * 49 ロン・ギドリー(投手)(2003年)

                全チームで欠番になっているジャッキー・ロビンソン(42)を除いて、実に16人! もちろんメジャーリーグ最多です。
                この中でも、ルース、ゲーリッグ、ディマジオ、マントルはコレクションの世界の王様。あらゆるアイテムを通じて永遠に語り継がれていきます。



                今回のこのボビンヘッドは"Square white bases"という1961~’62年に発売されたシリーズです。


                “和製ヨギ・ベラ”土井垣武

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                   土井垣武(どいがき・たけし)
                  1921年生まれ
                  大阪タイガース-阪神軍-大阪タイガース(1940〜’42年、’46~’49年)/毎日オリオンズ(’50〜’53年)/東映フライヤーズ(’54~’55年)/阪急ブレーブス(’56~’58年)
                  1999年没(77歳)



                  3番・別当薫、4番・藤村富美男、そして5番にこの土井垣。1940年代後半、大阪タイガースの“ダイナマイト打線”を担った捕手であります。
                  ’47年から大阪、毎日で6年連続ベストナインという戦後を代表する捕手のひとり。

                  捕手・土井垣というと、マンガ「ドカベン」の土井垣将を思い浮かべる人も多いかと思いますが、この土井垣武がモデルなのか? 風貌はあまりにも違うが……。



                  このショットはなかなか良いですよねぇ。何テイクくらいやったのでしょう? はね上げたマスクの位置が絶妙です。後の“チョコレートクリーム”の看板も気にかかる。なかなかイカしたタイポグラフィーであります



                  ダイカットの土井垣メンコ。裏面のイラスト、滑り込んでタッチしているのはベースなのか? ちっちゃいが



                  これは土井垣の勇ましさがよく表現された一枚。グッドデザインであります



                  こ、こ、これは“ドカベン”山田太郎か? はたまたノムさんか?! ミットが無駄にでかい


                  というわけで、本日7月1日は1921年に土井垣武が生まれた日でありました。

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