【野球のゲーム1】古〜いコリントゲーム

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    作られた年代が定かではない野球のコリント・ゲーム。
    おそらく50年代初頭のものではないだろうか。
    ミニチュアバットでビー玉を打つ。


    向こう側から投手がビー玉を転がし、それをバッターが打つという対戦型。野球ゲームとしては普通の考えかただが、コリントゲームとしては珍しい遊びかた


    「犠牲バント」とは、また高度なルール! 表記は「ギセイバンド」だけど


    外野フライでも黄色の穴に入れば犠牲フライになるのだな、おそらく



    そんなことで、こんな野球ゲームもこれから紹介していきます。

    「リポビタンD」初代キャラクター、エンディ宮本

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       宮本敏雄(みやもと・としお)
      1933年生まれ
      巨人(1955~’62年)、国鉄(’63〜’64)


      エンディ宮本と呼ばれたハワイ出身の外野手。
      1956年と’57年に打点王を獲得。王貞治の前の「リポビタンD」初代キャラクターを務めたほどであるから、’58年に長嶋茂雄が巨人に入団する前の巨人の人気者といえば、やはりこの宮本であったろう。
      ここに川上が晩年、長嶋入団前年で、リーグ3連覇を果たした’57年(’59年まで5連覇)の巨人ラインナップを記しておきましょう。
      1(左)岩本堯 2(遊)広岡達郎 3(中)与那嶺要 4(一)川上哲治 5(右)宮本敏雄 6(捕)藤尾茂 7(二)内藤博文 8(三)土屋正孝
      投手・木戸美摸/藤田元司/別所毅彦/堀内庄


      ボールドウィン・ハイスクール出身。いかにも人気の出そうな爽やかな笑顔である


      ライトポール際、笑顔でジャンピングキャッチ! こんなポーズですが、爽やかです


      国鉄スワローズ・金田正一、近鉄パールズ・鈴木武との心躍るスリーショットのメンコ

      「じゃじゃ馬」青田昇

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        青田昇(あおた・のぼる)
        1924年生まれ
        東京巨人軍(1942〜’43年)、阪急軍/阪急ベアーズ/阪急ブレーブス(’46〜’47年)、読売ジャイアンツ(’48〜’52年)、大洋松竹ロビンス/洋松ロビンス/大洋ホエールズ(’53〜’58年)、阪急ブレーブス(’59年)
        1997年没(72歳)

        2009年野球殿堂入り



        首位打者1回、ホームラン王5回、打点王2回の強打者。青田昇といえば巨人大好きの豪快な解説者というのが私のイメージ



        若い頃の丸メンコ。気が強そうな面構え。精悍です



        川上とのツーショット。この二人、仲が悪いという噂があったが、今回調べてみたらどうやら川上が何でも言えたのは青田だけだったと。良きライバルだったんだね


        このイラストの顔はやさぐれ過ぎです


        大洋時代の青田。オッサンです


        というわけで本日4月23日は、洋松時代の’53年に青田昇が古巣・巨人戦でサイクルヒットを記録した日であります。


        「バカ肩」の名遊撃手、木塚忠助

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          木塚忠助(きづか・ちゅうすけ)
          1924年生まれ
          南海ホークス(1948〜’56年)、近鉄パールス(’57〜’59年)
          1987年没(63歳)


          1948年の入団から’56年までホークスのショートを守った名手。ベストナインに7回選ばれていることでもわかるが、その活躍は走攻守全般に及ぶ。走は盗塁王4回、’50年は78盗塁を記録し、通算479盗塁の快速ぶり。打は長打こそ無かったようだが3割超えを3度記録している。私が木塚のことを読んだのは、ほとんどが「名手」という冠付きで讃えられた守備に関してだったように思う。強肩で鳴らした木塚はショート、ファースト・飯田徳治、セカンド・陰山和夫、そしてサード・山本一人と並んだホークスの内野は「百万ドルの内野」と呼ばれた。

          素晴らしいアングルのブロマイド。格好イイです


          いずれもショートの名手、巨人・広岡とのツーショットのメンコ


          角メンコと丸メンコで版を流用した盗塁王のメンコ。そしてそれを見て描いたようなものも。いずれも男前である


          というわけで明日4月23日は木塚忠助が1924年に生まれた日でした。

          赤ヘル黄金期の名将、古葉竹識

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             古葉竹識(こば・たけし)
            1936年生まれ
            広島カープ/広島東洋カープ(1958〜1969)、南海ホークス(1970〜1971)
            1999年野球殿堂入り


            選手時代のエピソードで知っているのはただひとつ、1963年に長嶋茂雄と熾烈な首位打者争いをしたということ。しかし残り13試合でアゴに死球を受けアゴの骨が真っ二つ。2厘差で首位打者を逃すが、この年唯一のベストナインに選ばれる。
            古葉竹識といえば、誰でも選手の印象より広島監督としての実績が思い浮かぶだろう。’75年開幕早々ルーツ監督の退団の後を受けると、その年球団創設初優勝。その後も’85年までにリーグ優勝4回、日本一3回という実績。V9巨人以降の野球界を「赤ヘル」が盛り上げた。
            ベンチ内でバットケースから半分だけ顔を覗かせ、静かな表情でグラウンドを見つめる古葉監督が印象的に残っているのは、私だけではないでしょう。


            選手時代の地味な印象があったので、古葉が写っているものを見つけるのは苦労しました。そして見つけたのはこの一枚。’60年当時のメンコ、アンカット・シート。
            左上から(印刷表記まま)、村山投手(阪神)/ローガン内野手(南海)/尾崎投手(東映)/広瀬内野手(南海)/長島内野手(巨人)/吉田内野手(阪神)/本屋敷内野手(阪急)/古葉内野手(広島)/中西内野手(西鉄)/王内野手(巨人)/ブルーム内野手(阪急)/稲尾投手(西鉄)/豊田内野手(国鉄)/森永外野手(広島)/稲川投手(大洋)/白捕手(東映)


            というわけで、明日4月22日は古葉竹識75歳の誕生日であります。

            ベースボールとコーラ

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              野球観戦にホットドッグとコーラは欠かせません。もちろんライトビールにピーナッツのコンビも大人にとっては最高の観戦の友なのですが、アメリカ野球を思い起こす時、香ってくるのは芝の匂いとコーラの甘い匂いなのであります。
              というわけで、今回はコーラ絡みのものをいくつか紹介します。


              この2本はコカコーラと野球のコラボ。左はサンフランシスコ・ジャイアンツのロゴが入ったもの。右のは1995年アトランタ・ブレーブスがワールド・チャンピオンになったのを記念して作られたもの


              アメリカで野球観戦したことのある人にはお馴染のスーベニアカップ。球場でコーラを注文する際「スーベニア・カップで」と伝えると、このような土産として持ち帰る用のカップに入れてくれます。ただ、私の場合はコーラが苦手で酒好き。球場ではもっぱらビールでコーラを飲むことはありません。同行の友人にもらうか通路に落ちているものを拾って持ち帰ります(必死です)


              こちらは「MOXIE」のコーラの大瓶。若き日のテッド・ウィリアムスが描かれた1950年代のもの。「MOXIE」って、どんな味なんだろ? まあ、コーラ苦手だから中身はそれほど興味無いけど


              これはシンシナチに行った際、土産物屋のようなところで見つけたペプシ。ただ、これは売り物ではなく、優勝記念の大きな缶バッジと一緒に飾ってあったもの。店主に頼み込んでバッジとともに譲ってもらった。いくら払ったのか忘れたが……。1975年レッズのワールド・チャンピオンを記念して作られたもの。ビッグ・レッド・マシーン!

              「早稲田の黒バット」南村侑広

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                南村侑広(みなみむら・ゆうこう)。西日本(1950年)巨人(1951~’57年)。
                1917年生まれ、1990年没(73歳)。


                早稲田大学時代「黒バットの南村」と呼ばれ2度の首位打者に。プロ入りは西日本パイレーツだったが翌年球団消滅。巨人がどさくさに紛れて西日本の選手だった南村を獲得(大雑把に言うと)。王貞治の前の背番号1を背負うことに。
                私がこの南村の名前を始めて見た古い雑誌には、表記が旧名の「南村不可止(ふかし)」となっていた。「不可止」、「ふかし」変った名前の人だと思った。’54年に侑広に改名したらしい。この「不可止」って名前、どんな思いが込められていたんだろう。

                巨人移籍当時のB5サイズほどの大型ブロマイド。それにしてもスリムな体形だ。これじゃ王貞治が入団発表の時に南村に借りたユニフォームが合わなかったわけだ


                紅梅キャラメルのオマケカード。これを集めて色々な景品が当る懸賞に応募できたらしい。そして、サインは紛れもなく「南村不可止」!


                というわけで、昨日4月17日は1917年に南村侑広が生まれた日でありました。

                選手、監督として生涯タイガース、金田正泰

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                  金田正泰(かねだ・まさやす)。阪神軍ー大阪(1942~’44年、’46年〜’57年)。
                  1920年生まれ、1982年没(72歳)。


                  選手として16年、指導者として7年間タイガースに在籍。まさにフランチャイズ・プレイヤー。
                  現役時代は主に1番などを打った左打ちの外野手。私の記憶は阪神監督の金田。’72年には村山実投手兼監督のサポートでヘッドコーチになるが、開幕1ヶ月も経たないうちに成績不振で村山が投手専念、金田が監督となる。よく覚えているのは巨人V9の’73年、阪神が残り2試合でマジック1という状況から、最後は巨人にボロ敗けし優勝をさらわれた。試合終了後は暴徒と化した観客が巨人ベンチを襲い、事態を沈めるために金田が観客に「こんな結果になり申し訳ない」と謝る場面も。
                  権藤正利に「サルでもタバコ吸うんだ」と言って殴られたり、江夏豊に「金田の下では野球をやりたくない」と堂々と宣言されたり、トラブルの多い監督というのが私の金田に対するイメージです。


                  カード・ゲームの一枚。おそらく2個のサイコロの出目で遊んだものだと思う。この時代はこういうカード・ゲームが多数刷られている。それにしても立派なマユゲ。


                  この濃紺のユニフォームはやはりカッコいい。昨年阪神はこのユニフォームを復活させたが、金本がパンツの裾を長くしたいつものスタイルで着ていて幻滅。半袖の学らんでプレーしているかのような着こなしは最悪でした。その後、忠告されたのかストッキングを見せるスタイルに変り一件落着。今年もこのユニフォームを見てみたいもんである。
                  あれ? この写真はマユゲ細いな

                  丸メンコ2種。右の写真は右打ちだし、顔も違うような、写真間違えてるよね?



                  というわけで、今日4月16日は金田が’49年の南海戦でサイクルヒットを記録した日であります。

                  プロ野球混乱期、ロビンスの捕手・荒川昇治

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                    荒川昇治(あらかわ・しょうじ)。太陽ー大陽ー松竹(1947~’51年)大洋ー大洋松竹ー洋松(1952〜’54年)毎日(1955年)。
                    1924年生まれ。1997年没(72歳)。


                    はっきり言います。どのような選手かは知りません。ただ、この帽子の「R」マーク、かっこいいです。
                    プロ野球が2リーグに分裂後のセ・リーグ初代王者になった松竹ロビンス。オーナーは田村駒治郎、その愛称「駒」から「駒鳥」の英訳「ロビン」と命名したらしいが、この名前は響きもタイポとしての見た目も非常に良いので、横浜ベイスターズにはこのニックネーム、ぜひ復活させて欲しい。「横浜ロビンス」ん〜、ノスタルジック。まあ、こんなゴタゴタだらけの縁起の悪い名前は忘れたいだろうが。

                    やっぱり「Robins」は良い名前です。右のはプロテクターが時代を感じさせます。


                    荒川は捕手だが、このカルタの絵札はどう見ても二塁手がゲッツーのフォースプレーに入ったとこにしか見えんが、写真間違えてないかな? 「ロビンスの荒川発止と球をうけ」


                    というわけで、今日がどういった日かと申しますと、昔ロビンスという球団がありまして、そこの捕手・荒川昇治が1924年4月15日に生まれた日でした。

                    「逆シングルの白石」白石勝巳

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                      白石勝己(しらいし・かつみ)。巨人(1936〜’43年)パシフィック(1946年)巨人(1948〜’49年)広島(1950〜’56年)。
                      1918年生まれ。2000年没(82歳)。1985年野球殿堂入り。


                      「逆シングル」といえばこの人。この「逆シングル」は生まれつき右目が弱かったための捕球方法だと読んだことがあるが本当だろうか? 巨人第一次黄金時代の遊撃手として活躍後、広島カープの創設に参加、1953年にはカープ二代目の監督となり11年間も弱小球団の指揮をとった。
                      私にとっての白石勝巳は、何といっても「王シフト」を考案した監督というイメージ。
                      そして、今調べていたら失策数がプロ野球史上ダントツの646と出ていた。現役時代を知らないだけに、「逆シングルの名手」とこの失策数とは因果関係は気になる。


                      カードゲームのアンカット。3段目いちばん左が白石。藤本、別所、川上、千葉、青田など、そうそうたる顔ぶれ

                      また派手に着色しちゃったブロマイド。もちろんこんな色の巨人のユニフォームは存在しない。えび茶のアンダーシャツの時もあったが、それは白石が広島に移った後の’50年。おそらくこのアンダーシャツは白で、帽子のひさしは紺だと思われる

                      そして、同じ写真を使ったと思われるこのカルタの絵札のアンダーシャツは紺に。もっと不可解なのはパンツが水色に…。「慎重に白石ベンチのサインうけ」


                      というわけで、明日4月15日は白石勝巳が1918年に生まれた日であります。


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