’53年に水戸商業から西鉄に入団し、1年目からショートのレギュラーになると、打率.281、27本塁打で新人王に。
’56年には首位打者となり、日本シリーズでもMVPに。
西鉄ライオンズ黄金期を支えた強打者は、'63年に国鉄に移籍。
’69年に引退するまで17年で1814試合出場、1699安打、263本塁打、888打点。
ベストナイン6回、オールスター出場9回。
左のメンコは、明らかに豊田と吉田だと思うのだが、「盤田」の表記。
そんな選手いましたっけ?
左のピンクのメンコ、写真のアングル、構図、カラーリング、秀逸です。
右のメンコ、袖にナンバーが入ったユニフォームは’60〜’61年のデザイン。
左のメンコの構図はいただけませんなあ。
そして、私の生まれ年であります’64年のスタープレイヤー勢揃いのメンコシート。
ベテランの風格が漂う国鉄時代のメンコ。
東芝マツダランプの抽選券(’60年)
森永トップスター・カード
ご冥福をお祈りいたします。
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ヨギ・ベラ(Lawrence Peter "Yogi" Berra)
1925年生まれ(88歳)
ニューヨーク・ヤンキース(1946〜’63年)/ニューヨーク・メッツ(’64年)
1972年野球殿堂入り
●アメリカンリーグMVP 3回(’51年、’54年、’55年)
●オールスター出場15回
【通算】19年 2150安打 358本塁打 1430打点 30盗塁
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ホワイティー・フォード(Edward Charles "Whitey" Ford)
1928年生まれ(85歳)
ニューヨーク・ヤンキース(1950〜’67年)
1974年野球殿堂入り
●サイ・ヤング賞 1回(’61年)
●最優秀防御率 2回(’56年/2.47、’58年/2.01)
●最多勝利 3回(’55年/18勝、’61年/25勝、’63年/24勝)
【通算】16年 236勝 106敗 10S 1956奪三振 防御率2.75
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ロジャー・マリス(Roger Eugene Maris)
1934年生まれ
クリーブランド・インディアンス(1957〜’58年)/カンザスシティ・アスレチックス(’58〜’59年)/ニューヨーク・ヤンキース(’60〜’66年)/セントルイス・カージナルス(‘67〜’68年)
1985年没(51歳)
●アメリカンリーグMVP 2回(’60年、’61年)
●本塁打王 1回(’61年/61本塁打)
●打点王 2回(’60年/112打点、’61年/142打点)
●ゴールドグラブ賞 1回(’60年)
●オールスター出場 4回
【通算】12年 1325安打 275本塁打 851打点 21盗塁
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今回ご紹介するハートランド・フィギュアは、’40〜’50年代に打ちまくった両リーグを代表するこのスラッガーふたり。アメリカンリーグからレッドソックスのテッド・ウィリアムズと、ナショナルリーグ代表カージナルスのスタン・ミュージアルです。
ウィリアムズは1939年デビューで’60年までボストン・レッドソックス一筋。ミュージアルは’41年のメジャーデビューから’63年までセントルイス・カージナルス一筋と、フランチャイズプレイヤーとしてほぼ同時期に大活躍。
3割100打点を超えたシーズンが、ウィリアムズが9回、ミュージアルが10回っていうんだから、本当にすごいね。
最後の4割打者テッド・ウィリアムズ。
回っている78回転のレコードのラベルの文字を読むことができたとか、7706打席すべてを記憶していたなど、その桁外れな能力を示すエピソードはよく知られたところ。
兵役で合計4年8カ月ものあいだ野球から離れていなければ、あと数回4割打ってたんじゃなかろうか。
「じゅうたんの上でやるベースボールはベースボールじゃない」
これは、打撃の神様ウィリアムズが、人工芝について語ったもの。まったくその通り!
このフィギュアはテッド・ウィリアムズの頑固な感じが表情に出ていて良い出来。お気に入りです。
テッド・ウィリアムズ(Ted Williams)
1918年生まれ
ボストン・レッドソックス(1939〜’42、’46〜’60)
1966年野球殿堂入り
2002年没(83歳)
●アメリカンリーグMVP 2回
●三冠王 2回(’42年、’47年)
●首位打者 6回(’41年/.406、’42年/.356、’47年/.343、’48年/.369、’57年/.388、’58年/.328)
●本塁打王 4回(’41年/37本、’42年/36本、’47年/32本、’49年/43本)
●打点王 4回(’39年/145打点、’42年/137打点、’47年/114打点、’49年/159打点)
【通算】19年 2654安打 521本塁打 1839打点 24盗塁
“ザ・マン”。スタン・“ザ・マン・”ミュージアル。人格者であります。完全無欠な野球界の紳士なのであります。
完全無欠っぷり全開のこんなエピソードをひとつ。’48年9月22日、左手首を痛めていたミュージアルは、手にひびかないようにひと振りで決めようと決意。この日の結果は5打数5安打。しかも、この試合でバットを振ったのは、ヒットを打った5回だけだった。完璧です。
このフィギュアはハートランド・シリーズの中ではいまひとつの気に入らない。顔といい、ユニフォームといい、ちょっとノッペリし過ぎじゃないだろか。らしくないぞ! ハートランド。
スタン・ミュージアル(Stan Musial)
1920年生まれ
セントルイス・カージナルス(1941〜’44年、’46〜’63年)
1969年野球殿堂入り
2013年没(92歳)
●ナショナルリーグMVP 3回(’43年、’46年、’48年)
●首位打者 7回(’43年/.351、’46年/.365、’48年/.376、’50年/.346、’51年/.355、’52年/.336、’57年/.351)
●打点王 2回(’48年/131打点、’56年/109打点)
【通算】22年 3630安打 475本塁打 1951打点 78盗塁
というわけで、今回は1960年製のハートランド・フィギュアから、テッド・ウイリアムズとスタン・ミュージアルの2体をご紹介しました。
では。
今回は1960年製のハートランド・フィギュアから、‘50〜’60年代のミルウォーキーを熱狂させたブレーブスの主砲コンビ、ハンク・アーロンとエディ・マシューズの2体をご紹介。
このフィギュア、左袖の酋長マークがざっくり作りすぎで、いちごのようなかわいらしい感じになっております。
マシューズは1952年、当時ボストンに本拠地を置いていたブレーブスでメジャー・デビュー。このとき20歳で三塁のレギュラーを奪うと、翌’53年には47本で本塁打王を獲得した。
’54年に本拠地をミルウォーキーに移したブレーブスに、20歳の黒人外野手がデビューする。マシューズが移籍する’66年までの13年間、共に主砲としてブレーブスを支えることになるハンク・アーロンである。
20本以上本塁打を放ったのは、マシューズがデビューの年から14年連続、アーロンはデビューの翌年から20年連続。二人がブレーブスで同じユニフォームを着た13年間で放った本塁打は、マシューズ405本、アーロン442本の合計847本。
ちなみに日本プロ野球の王、長嶋の場合は、王634本、長嶋415本の1049本であります。
マシューズは‘70〜’74年にブレーブスの監督を務め、’74年にアーロンがベーブルースの記録を抜く715号本塁打をベンチで見ることとなります。
長期にわたり欠場することなく、本塁打と打点を重ねたマシューズは、ファンから「ステディ・エディ」と呼ばれ親しまれた。
やや腰高の三塁守備は、デビュー年には30失策でリーグ最多。しかし、プレーに華がありルックスもハンサムな若きホームラン・スターは、ミルウォーキー市民のアイドルでありました。
エディ・マシューズ(Eddie Mathews)
1931年生まれ
ボストン・ブレーブス/ミルウォーキー・ブレーブス/アトランタ・ブレーブス(1952〜’66年) ー ヒューストン・アストロズ(’67年) ー デトロイト・タイガース(’67〜’68年)
1978年野球殿堂入り
2001年没(69歳)
●本塁打王 2回(’53年/47本、’59年/46本)
【通算】17年 2315安打 512本塁打 1453打点 68盗塁
アーロンといえばホームラン。今はバリー・ボンズに抜かれて歴代2位となったが、私の少年時代は世界のホームラン王。
’74年秋に来日したときの王とのホームラン競争は今でも鮮明に覚えております。
それにしてもこのフィギュア、自立しないのが玉にきず。ショーケースの中で倒れ帽子のつばが割れております。写真撮影時には別のベースに貼り付けて立たせた。まったく手が掛かる。が、それがまた良い。
ハンク・アーロン(Hank Aaron)
1934年生まれ
ミルウォーキー・ブレーブス/アトランタ・ブレーブス(1954〜’74年) ー ミルウォーキー・ブルワーズ(‘75〜’76年)
1982年野球殿堂入り
●ナショナルリーグMVP 1回(’57年)
●首位打者 2回(’56年/.328、’59年/.355)
●本塁打王 4回(’57年/44本、’63年/44年、’66年/44本、’67年/39本)
●打点王 4回(’57年/132打点、’60年/126打点、’63年/130打点、’66年/127打点)
●ゴールデングラブ賞 3回(’58年、’59年、’60年)
【通算】23年 3771安打 755本塁打 2297打点 240盗塁
というわけで、今回は1960年製のハートランド・フィギュアから、ハンク・アーロン、エディ・マシューズの2体をご紹介しました。
次回は’40〜’50年代に大活躍した二人、“ザ・マン”と最後の四割打者のハートランド・フィギュアをご紹介する予定です。
では。
当時ニューヨークの酒場では、マントル、メイズ、スナイダー、センターを守るこの3人で誰が最も優れた選手か、という話題でかんかんがくがく盛り上がっていたことはたやすく想像できますね。まあ、当時を知らない私のイメージ、また通算成績から推察するに、スナイダーが若干劣るかな、と思いますが実際のところどうだったのでしょうか。
そこで3人が共にニューヨークにいた’51〜’57年の7年間の記録を比べてみることとしましょう。ただ、メイズが兵役で’52年途中から’53年を棒に振っていますので、単純には比べられませんが。
どうです、こりゃ凄い。3人ともOPS(出塁率+長打率)がAランクとされる.900を大きく超えている。マントルに至っては1.001! それぞれのチームにこんなセンターフィールダーがいたんだから、そりゃニューヨークは大騒ぎだよ。
しかも、この7年間のチーム成績は
ヤンキース(アメリカンリーグ)リーグ優勝6回 ワールドシリーズ優勝5回
ジャイアンツ(ナショナルリーグ)リーグ優勝2回 ワールドシリーズ優勝1回
ドジャース(ナショナルリーグ)リーグ優勝4回 ワールドシリーズ優勝1回
ということで、’54年ワールドチャンピオンがジャイアンツ、’55年がドジャース、それ以外はヤンキースと、7年間全てニューヨークにチャンピオンフラッグがあったわけです。そりゃニューヨークは大騒ぎだ!
マントルといえばコレクションの王様。
数あるアイテムの中でもこのフィギュアがダントツでカッコイイですね。
このポケットキャッチのポーズ、あの有名な’54年ワールド・シリーズのスーパーキャッチ、「ザ・キャッチ」とは違いますよね?
バッティング・フォームじゃないところが泣かせる。
そして、アメリカのどこかの誰かさんによって、マジックで書かれた“Willie Mays”って背中の文字が、もっと泣かせる。
デューク・スナイダーはブルックリンにドジャースが居た頃の古き良きニューヨークの象徴だね。これ賞でてバーボン傾けたら最高だね。間違いない。
ただ、これは’60年製なんで、ブルックリンじゃなくてロサンゼルスの帽子です。あしからず。
そういえば、スナイダーのフィギュアっていうのは、このハートランド製しか無いんじゃないかな?
ミッキー・マントル(Mickey Mantle)
1931年生まれ
ニューヨーク・ヤンキース(1951〜’68年)
1974年アメリカ野球殿堂入り
1995年没(63歳)
●アメリカンリーグMVP 3回(’56年、’57年、’62年)
●三冠王 1回(’52年/.353 52本塁打 130打点)※スイッチヒッター初
●ゴールドグラブ賞 1回(’62年)
●首位打者 1回(’56年/.353)
●本塁打王 4回(’55年/37本、’56年/52本、’58年/42本、’60年/40本)
●打点王 1回(’56年/130打点)
●オールスター出場 16回
【通算】18年 2415安打 536本塁打 1509打点 153盗塁
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ウィリー・メイズ(Willie Mays)
1931年生まれ(82歳)
ニューヨーク・ジャイアンツ/サンフランシスコ・ジャイアンツ(1951〜’52年、’54〜’72年)ー ニューヨーク・メッツ(’72〜’73年)
1979年アメリカ野球殿堂入り
●ナショナルリーグMVP 2回(’54年、’65年)
●新人王(’51年)
●ゴールドグラブ賞 12回(’57〜’68年)
●首位打者 1回(’54年/.345)
●本塁打王 4回(’55年/51本、’62年/49本、’64年/47本、’65年/52本)
●盗塁王 4回(’56年/40盗塁、’57年/38盗塁、’58年/31盗塁、’59年/27盗塁)
●30本塁打30盗塁 2回(’56年、’57年)
●オールスター出場 20回
【通算】22年 3283安打 660本塁打 1903打点 338盗塁
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デューク・スナイダー(Duke Snider)
1926年生まれ
ブルックリン・ドジャース/ロサンゼルス・ドジャース(1947〜’62年)ー ニューヨーク・メッツ(’63年)ー サンフランシスコ・ジャイアンツ(’64年)
1980年アメリカ野球殿堂入り
2011年没(84歳)
●打点王 1回(’55年)
●本塁打王 1回(’56年)
●オールスター出場 8回
【通算】18年 2116安打 407本塁打 1333打点 99盗塁
というわけで、今回は’50年代ニューヨークのセンターフィールド3人衆をご紹介いたしました。
次回は’50〜’60年代ブレーブスの主砲2人のハートランド・フィギュアを、と考えております。
ではでは。
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