【野球のかるた】新野球かるた その2
本日も昨日に引き続き1949~’50年発行『新野球かるた』をご紹介。
「二-三(ツウスリー) 黒尾苦心の ピッチング」
黒尾重明はこれが作られた1949年まで東急フライヤーズ、翌’50年からは近鉄パールズに所属した投手。読み札の「苦心のピッチング」は成績を見れば想像がつきます。現役10年間で勝ち越したシーズンは3回あるが、19勝18敗(’47年)、19勝18敗(’48年)、14勝11敗(’53年)といずれも負け数が多く、2勝2敗、3勝3敗とタイの年があり、あとの5年間は負け越し、通算でも99勝121敗と100勝まであとひとつまで迫ったが、最終年は無勝利に終った。在籍した球団が10年間すべてBクラスで4度の最下位と、弱小だったのは不幸であった。
「柚木投げて 南海ナイン 奮いたち」
1948年に南海ホークスに入団した柚木進投手はルーキーイヤーの19勝11敗を皮切りに、入団から7年連続二桁勝利。9年の現役生活で6度の優勝に貢献した。ただ19勝したシーズンが4度あるのに、とうとう20勝には届かなかった。通算123勝64敗。
「ノンステップ サード手塚の 好送球」
手塚明治はこの年新人で、巨人の控え三塁手だった。翌’50年にはレギュラーとなるが、’51年から’53年まではまた控え三塁手、’54年には再び三塁のレギュラーを奪取。大洋ホエールズに移籍した’55年には自身最多の123試合に出場した。巨人の三塁手は長嶋登場の’58年まではちょっと地味なポジションでありました。
ってことで、続きはまた明日。
- 2011.11.17 Thursday
- 日本野球【かるた】
- 18:13
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- by idetaaa