日本チーム『東京ドラゴンズ』を率いて南米に乗り込んだ男 森徹

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    森徹(もり・とおる)
    1935年生まれ
    中日ドラゴンズ(1958~’61年)/大洋ホエールズ(’62~’65年)/東京オリオンズ(’66~’68年)



    長嶋茂雄が立教大で通算8本塁打の六大学野球記録を作ったころ、早稲田大の同学年にいた強打者が森徹。長嶋の大学通算記録は87安打、8本塁打、37打点だったのに対し、森は63安打、5本塁打、打点は長嶋と同じ37打点という記録が残っている。

    森は中日に入団した1年目の1958年、112試合に出場し、打率こそ.247と高くはないが、23本塁打、73打点を挙げた。しかし、プロに入っても長嶋が立ちはだかる。長嶋は同年、全130試合に出場して打率.305、29本塁打、92打点を記録。新人王に輝いたのは長嶋であった。
    しかし翌年、森のバットは冴え渡り、31本塁打、87打点で二冠王に。中日のスタープレイヤーとして4年間活躍したが、’62年大洋へトレード。これは濃人監督との確執が原因と言われている。

    現役を引退した翌’69年、メジャーリーグに匹敵する世界規模のリーグをとの旗印のもと、『グローバルリーグ』が設立され、ベネズエラを中心にリーグ戦が行われた。
    このとき日本チーム『ハポン・デ・トキオ(東京ドラゴンズ)』を選手権監督で率いたのが森であった。
    しかし、このリーグはすぐに運営が立ち行かなくなる。わずか半年ほどで森たちは帰国することとなった。
    この『グローバルリーグ』に賭けた森の意気込みは相当なものだったようで、このチームのメンバーだったハイディ古賀の野球人生を描いた『二軍監督』(國安輪・著/講談社)によると、
    「十二チームしかない日本プロ野球界では、契約してもらえる選手があまりにも少なすぎる。(中略)なんとしてもグローバルリーグを成功させて現状を打破。一人でも多くの若い選手たちの受け皿になってやりたい」
    と語っている。



    森の在籍当時、中日のユニフォームがストライプだったことはない。そもそもブルー地に白のストライプなどはドラゴンズの歴史上存在しない。勝手に書いちゃったんだね。ところで、後で構えて「バッチ来〜い!」って言ってるのは誰ですか?



    トンボを担いでスキップを刻む森徹。何のトレーニングなのでしょう?



    大洋時代の森のアンカット・メンコ。同期のヒーロー長嶋、大洋の主砲桑田武、大毎の小野正一、国鉄・金田正一の面々。


    というわけで、昨日11月3日は森徹76歳の誕生日でした。


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