“球界の紳士”別当薫

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    別当薫(べっとう・かおる)
    1920年生まれ
    大阪タイガース(1948~’49年)/毎日オリオンズ(’50~’57年)
    1988年野球殿堂入り
    1999年没(78歳)





    当時の別当薫の人気ぶりは、メンコ、ブロマイドとして印刷されたその種類の多さを見ればよくわかる。おそらく川上、大下と並んで、このメンコ、ブロマイドの世界では横綱クラス。
    東京六大学、慶応大のスターとして活躍し、1947年に大阪(阪神)入団。1年目から打ちまくり、打率.328と首位打者に手が届くところまでいったがケガで離脱。2年目となる翌’49年にも.322、39本塁打、126打点の活躍。129得点は最多だった。
    ところが、このオフの2リーグ分裂騒動で毎日に引き抜かれ移籍。それでも別当のバットは益々冴え、移籍初年度の成績は打率.335、43本塁打、105打点で本塁打、打点の二冠王、加えて34盗塁で球界初の「3割・30本・30盗塁」を記録。パ・リーグ初代MVPに輝いた。
    現役生活は10年と短かったが、監督としては監督代行、選手兼任も含め19年、毎日/大毎 - 近鉄 - 大洋 - 広島 - 大洋で指揮をとった。しかし、通算1000勝以上の監督で優勝を経験していないのは別当ただ一人とペナントには縁がなかった。

    私が記憶している別当は、大洋監督時代に田代富雄を育てたことと、「HOYAバリラックスII」のCMで微笑む細面の紳士としての別当。スポーツ刈りか角刈りの強面球界人が多い中、とても元プロ野球選手とは思えないその雰囲気に、「やっぱり慶応ボーイは違うな」と知ったような口を叩いたもんである。



    モノクロ写真に着色したブロマイド。気になるのはベルト。このバックルはやけにオシャレすぎやしないかい?



    斜め後からの別当ふたつ。



    この別当は美少年。たいがい老けた顔で描かれている中で、この一枚は希少。



    水原との共演。しかし、名前が書いてなければ誰かはまったくわからないほど似ていない。水原の方が10歳年上だが、この別当の貫録っぷり。さすが“球界の紳士”。


    というわけで、本日8月23日は1920年に別当薫が生まれた日でありました。


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