西鉄の「斬り込み隊長」高倉照幸

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     高倉照幸(たかくら・てるゆき)
    1934年生まれ
    西鉄ライオンズ(1953〜’66年)/読売ジャイアンツ(’67〜’68年)/アトムズ ー ヤクルトアトムズ(’69〜’70年)



    18年の現役生活で1793試合に出場し、1611安打、168本塁打、640打点、178盗塁の記録を残した俊足、強肩の外野手。

    1番“斬り込み隊長”高倉、2番“野武士”豊田、3番“怪童”中西、4番“天才”大下、そして5番・関口、6番・河野、7番・仰木、8番・和田という西鉄黄金時代のラインナップは「流線型打線」と呼ばれた。



    1954年、当時西鉄のセンターは塚本悦郎、その塚本が結核に倒れ、代役で出場のチャンスを得たのが高卒2年目の高倉であった。
    ’52年には中西太が高卒新人でサードのレギュラーに、’53年にはこれも高卒新人の豊田泰光がショートのポジションを、そしてこの年の仰木彬も高卒1年目でセカンドのポジションを獲得し、2年目高倉を加え、西鉄ライオンズ黄金時代を迎えるのである。



    高倉は「野武士軍団」西鉄ではめずらしく、「飲む・打つ・買う」は一切やらず、趣味に金を注ぎ込んでいたそうな。
    趣味はレコード収集と自動車。特にカー・マニアぶりは凄かったそうで、10年で15台の高級外車を手に入れるんですが、それらに乗るのが好きというより自動車整備にのめり込んでいたんだと。整備のための部品にも大金を注ぎ込み、いつも金欠だったという。

    そんなわけで、本日12月8日は高倉照幸77歳の誕生日であります。


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