昭和23年製、大下弘の大顔面

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    日本プロ野球は、ファイターズがあっさりと日本シリーズ進出を決め、セ・リーグは本日が決戦の日。
    MLBナショナル・リーグも明日の第7戦で決着と、野球はこれからクライマックスを迎えようとしております。

    そんなさ中、この野球コレクションブログ「野球狂スタヂアム」、こっそりと久々の更新であります。

    今回ご紹介するのは、1948(昭和23)年製の野球選手のお面、紙製であります。
    これはおそらく、どの選手が入っているかわからないよう紙袋に入った状態で、駄菓子屋で売られていたものではないかと。

    1948年といいますと、太陽ロビンスが“点を取る”という縁起を担いで大陽ロビンスに名前を変え、東急と大映が合併して急映フライヤーズが誕生したり、金星スターズと国民リーグの生き残りの大塚アスレチックスが合併し、金星の林直明が73球で完投してみせたり、急映の大下弘は禁止されている竹バットを使って罰金100円取られちゃたり、人気者の阪神新人・別当薫は盗塁の際の足首骨折で7月以降のシーズンを棒に降ったり、阪神・梶岡忠義と大陽・
    真田重蔵がノーヒッターを達成したりしたシーズンで、南海がグレートリング時代以来の優勝を飾り、オフには南海の別所毅彦が巨人に引き抜かれ、大映は東急と別れ金星とくっつき「大映スターズ」が誕生した。そんな年であります。


    この時代を象徴する人気選手といえばこの人、大下弘。





    西沢道夫といえば中日の中心選手として長年活躍したスタープレイヤーでありますが、1946〜'48年まではゴールドスター/金星でプレーしておりました。





    戦前、明治大で活躍した杉浦清は戦地から戻った後、1946年に中部日本(後の中日)に入団したが、このとき既に32歳。
    7月からはなんと新人にして監督兼任。しかし、これは選手たちの反発を買い、'49年からは選手一本に。
    それにしても、このお面、目を抜くとちょっと不気味である。





    戦前から阪神タイガースで活躍していた本堂保次は、この'48年は大洋ロビンス(表記は前年までの「太陽」になってるな)に在籍。翌'49年は阪神に復帰し、’50年から引退する’58年までは毎日オリオンズに在籍、主には二塁手でありましたが、投手以外の全ポジションで出場するというユーティリティ・プレイヤーだったそうな。
    それにしても、この本堂の顔。やはり目が抜かれちゃってると怖すぎるよ〜。


    そんなわけで、これからまたぼちぼちと野球モノを紹介していきたいと思います。

    セ・リーグの最終決戦は、間もなくプレイボールです。


    「ミスター! もう一丁っ!」おでこにも長嶋茂雄!

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      長嶋茂雄の販促物を 先日紹介しましたが、ひとつ漏れていたので追加で。


      これは“ミスター・サンヨー”として三洋電機のキャラクターだった長嶋茂雄が、「サンヨー自家水道装置」の販促物になったもの。
      で、これは何かと言いますと、ツバが付いたお面です……。
      ツバを上げるとそこから目が出せるというもの。
      そして、おでこにミスター!
      被ったところの写真も欲しいところですが、なんせ50年以上も前の品、もろくなっているので平起きの写真のみで。

      この「サンヨー自家水道装置」とはモーターで井戸水を組み上げる装置で、出てくる水はもちろん井戸水で水道じゃあありません! 1950年代半ばのものかと。

      あと、余談ですが、このお面が作られた20ほど後、サンヨーはサンヨーでも三洋電機ではなくアパレルの三陽商会が、1975年に買いやすい価格のスーツブランド「ミスター・サンヨー」を立ち上げ、当時引退して巨人の新監督になった長嶋がCMに起用されております。


      というわけで、本日は長嶋茂雄の販促物、もう一丁でした。


      こんなところにもミスターが! 長嶋茂雄が登場する販促物

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        我が事務所の壁に貼ってある「名糖アイスクリームバー」の看板。
        ミスターの豪快なスイングが美しい一枚。
        おそらく「ホームランバー」と名前が変わる前のものではないだろうか?
        1960年当時のもの。



        こちらは現役晩年のもの。ONセットのプラスチック皿。
        1973〜’74年ころのもの。



        そして、三共の「ビオタミン」の販促物。
        ハガキ、マッチ、店頭ポップ。
        これも現役晩年のものですね。





        そして、こんなところにもミスターが。
        これは販促物ではなく商品ですが、ちょっと面白いのでご紹介。
        子供用の体育着。短パンです。
        おそらく私が小学校2〜3年の頃のものと思われますが、当時これを履いている友達を見たことはありません。
        売れたんだろうか? 学校では履けないしな〜。


        というわけで、2月20日は長嶋茂雄75歳の誕生日でした。
        今回は長嶋の販促物をいくつかご紹介しました。メンコは以前紹介しましたコチラをご覧ください。

        http://idetabaseball.jugem.jp/?eid=5


        打撃の神様を被る 川上哲治のバイザー

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          川上哲治(かわかみ・てつはる)
          1920年生まれ
          東京巨人軍ー読売ジャイアンツ(1938~’42年、’46~’58年)
          1965年野球殿堂入り

           

          本日は川上哲治モノをご紹介。
          “赤バット”で打撃の神様と呼ばれた選手でありますから、メンコなどは非常に多くの図柄が存在します。それらはまたの機会としまして、今回はちょっと変ったものを2つ。
          これらはいずれもお菓子メーカーのものですが、販促物かオマケ(当り)なのかは定かではありません。
          当時の子どもはこれを被ってバットを振っていたのでしょうか。これを被ればきっとボールが止まって見えたことでしょう。


          紙製のサンバイザー。リアルなイラストとチープな色合いがイカしてます


          帯には「不二家の野球キャラメル」と記されている。このキャラメルは野球カードのオマケ付き。野球カードに関してはまた別の機会に


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          こちらは「紅梅キャラメル」のお面。最初に野球カードのオマケ付きを発売したのはこの紅梅食品。但し、当時の子供たちはカード集めが目的ではなく、カードを集めて応募する景品が目当てだったようだ。景品はバット、グローブ、カメラなど豪華だった


          お遊戯会で被るお面のようなつくり。これで赤バットの川上に成りきる




          というわけで、昨日5月31日は1956年に川上哲治が史上初の通算2000本安打を打った日でした。
          それから50年以上が経ち、現在2000本安打以上を記録した選手は、先日達成した小笠原(巨人)で38人目となった。

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