ヨギ・ベラ/ホワイティー・フォード/ロジャー・マリス(ハートランド・フィギュア)

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    今回ご紹介するハートランド・フィギュアは、1950年代〜’60年代のヤンキースで活躍し、
    後にそれぞれの背番号が永久欠番になったこの3人。




    ホワイティー・フォード投手は’50年〜’67年の16年間ヤンキース一筋、
    ヨギ・ベラ捕手は’47年〜’64年まで18年ヤンキースで活躍後、現役最終年はメッツに在籍した。
    そして、ロジャー・マリス外野手はインディアンス、アスレチックスを経て’60年ヤンキースに移籍、’66年までの7年間をニューヨークで過ごした。
    この頃のヤンキースはミッキー・マントルを中心とした強力打線で、“Muderer's Row(殺人打線)”と恐れられた。
    このメンバーが一緒にプレーした7年間で5度のリーグ・チャンピオン、
    ルース、ゲーリッグの時代、ディマジオの時代に続いて第三期黄金時代と呼ばれる輝かしい時代。
    これは、そんな輝かしい1960年に制作されたフィギュアです。




    ロレンス・ピーターという美しい名を持つベラ、
    歩く姿がまるでヨガ行者のようということで、ヨガが訛り“ヨギ”と呼ばれた。
    ’40年代のディマジオ、’50年代のマントルという主砲の後の5番を打ち、
    11年連続80打点以上という勝負強さは目を見張る。

    マンガ好きで、悪球打ち、残された語録は数知れず。
    愛すべきキャラクターで、フィギュアにするにはもってこいの選手。
    ハートランド・フィギュアの中でも特に優れた出来で、珠玉の逸品であります。
    オリジナルのキャッチャーマスクは幼い頃の姪っ子に壊され、
    写真で手に掛けているマスクは25周年記念の復刻版のものであります。




    ヤンキース第三期黄金時代のエース左腕、ホワイティー・フォード。
    ’50年のルーキーイヤー、初戦こそ負け投手になったが、その後9連勝という華々しいデビューを飾ったが、
    翌’51、’52年は兵役で野球から離れることとなる。
    軍隊で負傷したにもかかわらず、見事にカムバックした’53年から’65年まで13年連続二ケタ勝利。
    打者の内角をえぐる“ひげそりボール”を絶妙にコントロールし、ヤンキース10回のリーグ優勝に貢献した。

    このフィギュアは、1990年製の“Dallas”シリーズ。
    ポーズは良いのだが、顔がいまひとつ似ていない。
    もうちょっと頬を膨らませてくれないとフォードっぽくないね。




    ロジャー・マリスといえば61本塁打という当時のシーズン記録を作った’61年が頂点。
    このフィギュアはその前年、マリスがヤンキースに移籍してきた’60年に作成されたもの。
    クーパースタウンで購入したこのフィギュアは、表情も若々しく、非常に良い出来です。
    翌年、ルースの“聖域”を超えたことで、あらゆるバッシングや嫌がらせにさらされる前の姿であります。




    ヨギ・ベラ(Lawrence Peter "Yogi" Berra)

    1925年生まれ(88歳)

    ニューヨーク・ヤンキース(1946〜’63年)/ニューヨーク・メッツ(’64年)

    1972年野球殿堂入り

    ●アメリカンリーグMVP 3回(’51年、’54年、’55年)

    ●オールスター出場15回

    【通算】19年 2150安打 358本塁打 1430打点 30盗塁

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    ホワイティー・フォード(Edward Charles "Whitey" Ford)

    1928年生まれ(85歳)

    ニューヨーク・ヤンキース(1950〜’67年)

    1974年野球殿堂入り

    ●サイ・ヤング賞 1回(’61年)

    ●最優秀防御率 2回(’56年/2.47、’58年/2.01)

    ●最多勝利 3回(’55年/18勝、’61年/25勝、’63年/24勝)

    【通算】16年 236勝 106敗 10S 1956奪三振 防御率2.75

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    ロジャー・マリス(Roger Eugene Maris)

    1934年生まれ

    クリーブランド・インディアンス(1957〜’58年)/カンザスシティ・アスレチックス(’58〜’59年)/ニューヨーク・ヤンキース(’60〜’66年)/セントルイス・カージナルス(‘67〜’68年)

    1985年没(51歳)

    ●アメリカンリーグMVP 2回(’60年、’61年)

    ●本塁打王 1回(’61年/61本塁打)

    ●打点王 2回(’60年/112打点、’61年/142打点)

    ●ゴールドグラブ賞 1回(’60年)

    ●オールスター出場 4回

    【通算】12年 1325安打 275本塁打 851打点 21盗塁


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    “打撃の神様”テッド・ウィリアムズとスタン・“ザ・マン”・ミュージアル(ハートランド・フィギュア)

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      今回ご紹介するハートランド・フィギュアは、’40〜’50年代に打ちまくった両リーグを代表するこのスラッガーふたり。アメリカンリーグからレッドソックスのテッド・ウィリアムズと、ナショナルリーグ代表カージナルスのスタン・ミュージアルです。



      ウィリアムズは1939年デビューで’60年までボストン・レッドソックス一筋。ミュージアルは’41年のメジャーデビューから’63年までセントルイス・カージナルス一筋と、フランチャイズプレイヤーとしてほぼ同時期に大活躍。

      3割100打点を超えたシーズンが、ウィリアムズが9回、ミュージアルが10回っていうんだから、本当にすごいね。




      最後の4割打者テッド・ウィリアムズ。

      回っている78回転のレコードのラベルの文字を読むことができたとか、7706打席すべてを記憶していたなど、その桁外れな能力を示すエピソードはよく知られたところ。

      兵役で合計4年8カ月ものあいだ野球から離れていなければ、あと数回4割打ってたんじゃなかろうか。
       

      「じゅうたんの上でやるベースボールはベースボールじゃない」

      これは、打撃の神様ウィリアムズが、人工芝について語ったもの。まったくその通り!
       

      このフィギュアはテッド・ウィリアムズの頑固な感じが表情に出ていて良い出来。お気に入りです。


      テッド・ウィリアムズ(Ted Williams)

      1918年生まれ

      ボストン・レッドソックス(1939〜’42、’46〜’60)

      1966年野球殿堂入り

      2002年没(83歳)

      ●アメリカンリーグMVP 2回

      ●三冠王 2回(’42年、’47年)

      ●首位打者 6回(’41年/.406、’42年/.356、’47年/.343、’48年/.369、’57年/.388、’58年/.328)

      ●本塁打王 4回(’41年/37本、’42年/36本、’47年/32本、’49年/43本)

      ●打点王 4回(’39年/145打点、’42年/137打点、’47年/114打点、’49年/159打点)

      【通算】19年 2654安打 521本塁打 1839打点 24盗塁





      “ザ・マン”。スタン・“ザ・マン・”ミュージアル。人格者であります。完全無欠な野球界の紳士なのであります。

      完全無欠っぷり全開のこんなエピソードをひとつ。’48年9月22日、左手首を痛めていたミュージアルは、手にひびかないようにひと振りで決めようと決意。この日の結果は5打数5安打。しかも、この試合でバットを振ったのは、ヒットを打った5回だけだった。完璧です。
       

      このフィギュアはハートランド・シリーズの中ではいまひとつの気に入らない。顔といい、ユニフォームといい、ちょっとノッペリし過ぎじゃないだろか。らしくないぞ! ハートランド。
       

      スタン・ミュージアル(Stan Musial)

      1920年生まれ

      セントルイス・カージナルス(1941〜’44年、’46〜’63年)

      1969年野球殿堂入り

      2013年没(92歳)

      ●ナショナルリーグMVP 3回(’43年、’46年、’48年)

      ●首位打者 7回(’43年/.351、’46年/.365、’48年/.376、’50年/.346、’51年/.355、’52年/.336、’57年/.351)

      ●打点王 2回(’48年/131打点、’56年/109打点)

      【通算】22年 3630安打 475本塁打 1951打点 78盗塁




      というわけで、今回は1960年製のハートランド・フィギュアから、テッド・ウイリアムズとスタン・ミュージアルの2体をご紹介しました。


      では。
       

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      マシューズ、アーロン/通算HR512本と755本。ミルウォーキーの主砲コンビ(ハートランド・フィギュア)

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         今回は1960年製のハートランド・フィギュアから、‘50〜’60年代のミルウォーキーを熱狂させたブレーブスの主砲コンビ、ハンク・アーロンとエディ・マシューズの2体をご紹介。

         このフィギュア、左袖の酋長マークがざっくり作りすぎで、いちごのようなかわいらしい感じになっております。


         マシューズは1952年、当時ボストンに本拠地を置いていたブレーブスでメジャー・デビュー。このとき20歳で三塁のレギュラーを奪うと、翌’53年には47本で本塁打王を獲得した。

         ’54年に本拠地をミルウォーキーに移したブレーブスに、20歳の黒人外野手がデビューする。マシューズが移籍する’66年までの13年間、共に主砲としてブレーブスを支えることになるハンク・アーロンである。

         20本以上本塁打を放ったのは、マシューズがデビューの年から14年連続、アーロンはデビューの翌年から20年連続。二人がブレーブスで同じユニフォームを着た13年間で放った本塁打は、マシューズ405本、アーロン442本の合計847本。

         ちなみに日本プロ野球の王、長嶋の場合は、王634本、長嶋415本の1049本であります。

         マシューズは‘70〜’74年にブレーブスの監督を務め、’74年にアーロンがベーブルースの記録を抜く715号本塁打をベンチで見ることとなります。


         長期にわたり欠場することなく、本塁打と打点を重ねたマシューズは、ファンから「ステディ・エディ」と呼ばれ親しまれた。

         やや腰高の三塁守備は、デビュー年には30失策でリーグ最多。しかし、プレーに華がありルックスもハンサムな若きホームラン・スターは、ミルウォーキー市民のアイドルでありました。
         

        エディ・マシューズ(Eddie Mathews)

        1931年生まれ

        ボストン・ブレーブス/ミルウォーキー・ブレーブス/アトランタ・ブレーブス(1952〜’66年) ー ヒューストン・アストロズ(’67年) ー デトロイト・タイガース(’67〜’68年)

        1978年野球殿堂入り

        2001年没(69歳)

        ●本塁打王 2回(’53年/47本、’59年/46本)

        【通算】17年 2315安打 512本塁打 1453打点 68盗塁



         

         アーロンといえばホームラン。今はバリー・ボンズに抜かれて歴代2位となったが、私の少年時代は世界のホームラン王。

         ’74年秋に来日したときの王とのホームラン競争は今でも鮮明に覚えております。

         それにしてもこのフィギュア、自立しないのが玉にきず。ショーケースの中で倒れ帽子のつばが割れております。写真撮影時には別のベースに貼り付けて立たせた。まったく手が掛かる。が、それがまた良い。
         

        ハンク・アーロン(Hank Aaron)

        1934年生まれ

        ミルウォーキー・ブレーブス/アトランタ・ブレーブス(1954〜’74年) ー ミルウォーキー・ブルワーズ(‘75〜’76年)

        1982年野球殿堂入り

        ●ナショナルリーグMVP 1回(’57年)

        ●首位打者 2回(’56年/.328、’59年/.355)

        ●本塁打王 4回(’57年/44本、’63年/44年、’66年/44本、’67年/39本)

        ●打点王 4回(’57年/132打点、’60年/126打点、’63年/130打点、’66年/127打点)

        ●ゴールデングラブ賞 3回(’58年、’59年、’60年)

        【通算】23年 3771安打 755本塁打 2297打点 240盗塁



         

         というわけで、今回は1960年製のハートランド・フィギュアから、ハンク・アーロン、エディ・マシューズの2体をご紹介しました。

         次回は’40〜’50年代に大活躍した二人、“ザ・マン”と最後の四割打者のハートランド・フィギュアをご紹介する予定です。

         では。
         

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        マントル、メイズ、スナイダー/’50年代NYのセンターフィールダー(ハートランド・フィギュア)

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           私のベースボール・フィギュア・コレクションの中で最も愛するシリーズが今回ご紹介するこれ。
           1960年のハートランド社製プラスチック・フィギュアです。
           このフィギュアの存在を知ってから、アメリカのオークションや現地のショップ、カードショウなどでコツコツ集めてまいりました。
           25周年で作られた復刻版を含み30体ほど所有しておりますので、今回から数体ずつテーマを決めて紹介していきたいと思います。



           今回は1950年代のニューヨーク、ヤンキースタジアム、ポログラウンズ、そしてエベッツフィールド、それぞれのセンターフィールドを守っていたスーパースター3人衆のフィギュアです。
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           ジョー・ディマジオ現役最後の年となる1951年のヤンキースで、左打ちの祖父と右打ちの父に仕込まれ育った根っからのスイッチヒッター外野手、ミッキー・マントルがデビュー。
           同じくニューヨークに本拠地を置くジャイアンツでは、走攻守三拍子揃った“黒い稲妻”ウィリー・メイズも’51年にデビューし、もうひとつのニューヨークのチーム、ブルックリン・ドジャースには’47年にデビューし’49年からレギュラーとなっていたスラッガー、デューク・スナイダーが活躍していた。
           マントル、メイズがデビューした’51年から、ジャイアンツとドジャースが西海岸に移転する’57年までの7年間、ニューヨークの3球団でいずれもセンターを守る強打者3人がしのぎを削ることとなります。まさにニューヨークこそが野球の中心、そんな輝かしい時代でありました。



           当時ニューヨークの酒場では、マントル、メイズ、スナイダー、センターを守るこの3人で誰が最も優れた選手か、という話題でかんかんがくがく盛り上がっていたことはたやすく想像できますね。まあ、当時を知らない私のイメージ、また通算成績から推察するに、スナイダーが若干劣るかな、と思いますが実際のところどうだったのでしょうか。
           そこで3人が共にニューヨークにいた’51〜’57年の7年間の記録を比べてみることとしましょう。ただ、メイズが兵役で’52年途中から’53年を棒に振っていますので、単純には比べられませんが。


           どうです、こりゃ凄い。3人ともOPS(出塁率+長打率)がAランクとされる.900を大きく超えている。マントルに至っては1.001! それぞれのチームにこんなセンターフィールダーがいたんだから、そりゃニューヨークは大騒ぎだよ。
           しかも、この7年間のチーム成績は

          ヤンキース(アメリカンリーグ)リーグ優勝6回 ワールドシリーズ優勝5回

          ジャイアンツ(ナショナルリーグ)リーグ優勝2回 ワールドシリーズ優勝1回

          ドジャース(ナショナルリーグ)リーグ優勝4回 ワールドシリーズ優勝1回

           ということで、’54年ワールドチャンピオンがジャイアンツ、’55年がドジャース、それ以外はヤンキースと、7年間全てニューヨークにチャンピオンフラッグがあったわけです。そりゃニューヨークは大騒ぎだ!

           


          マントルといえばコレクションの王様。
          数あるアイテムの中でもこのフィギュアがダントツでカッコイイですね。
           


          このポケットキャッチのポーズ、あの有名な’54年ワールド・シリーズのスーパーキャッチ、「ザ・キャッチ」とは違いますよね?
          バッティング・フォームじゃないところが泣かせる。
          そして、アメリカのどこかの誰かさんによって、マジックで書かれた“Willie Mays”って背中の文字が、もっと泣かせる。



          デューク・スナイダーはブルックリンにドジャースが居た頃の古き良きニューヨークの象徴だね。これ賞でてバーボン傾けたら最高だね。間違いない。
          ただ、これは’60年製なんで、ブルックリンじゃなくてロサンゼルスの帽子です。あしからず。
          そういえば、スナイダーのフィギュアっていうのは、このハートランド製しか無いんじゃないかな?


          ミッキー・マントル(Mickey Mantle
          1931年生まれ
          ニューヨーク・ヤンキース(1951〜’68年)
          1974年アメリカ野球殿堂入り
          1995年没(63歳)
          ●アメリカンリーグMVP 3回(’56年、’57年、’62年)
          ●三冠王 1回(’52年/.353 52本塁打 130打点)※スイッチヒッター初
          ●ゴールドグラブ賞 1回(’62年)
          ●首位打者 1回(’56年/.353)
          ●本塁打王 4回(’55年/37本、’56年/52本、’58年/42本、’60年/40本)
          ●打点王 1回(’56年/130打点)
          ●オールスター出場 16回
          【通算】18年 2415安打 536本塁打 1509打点 153盗塁


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          ウィリー・メイズ(Willie Mays
          1931年生まれ(82歳)
          ニューヨーク・ジャイアンツ/サンフランシスコ・ジャイアンツ(1951〜’52年、’54〜’72年)ー ニューヨーク・メッツ(’72〜’73年)
          1979年アメリカ野球殿堂入り

          ●ナショナルリーグMVP 2回(’54年、’65年)
          ●新人王(’51年)
          ●ゴールドグラブ賞 12回(’57〜’68年)
          ●首位打者 1回(’54年/.345)
          ●本塁打王 4回(’55年/51本、’62年/49本、’64年/47本、’65年/52本)
          ●盗塁王 4回(’56年/40盗塁、’57年/38盗塁、’58年/31盗塁、’59年/27盗塁)
          ●30本塁打30盗塁 2回(’56年、’57年)
          ●オールスター出場 20回
          【通算】22年 3283安打 660本塁打 1903打点 338盗塁


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          デューク・スナイダー(Duke Snider
          1926年生まれ
          ブルックリン・ドジャース/ロサンゼルス・ドジャース(1947〜’62年)ー ニューヨーク・メッツ(’63年)ー サンフランシスコ・ジャイアンツ(’64年)
          1980年アメリカ野球殿堂入り
          2011年没(84歳)

          ●打点王 1回(’55年)
          ●本塁打王 1回(’56年)
          ●オールスター出場 8回
          【通算】18年 2116安打 407本塁打 1333打点 99盗塁


          というわけで、今回は’50年代ニューヨークのセンターフィールド3人衆をご紹介いたしました。
          次回は’50〜’60年代ブレーブスの主砲2人のハートランド・フィギュアを、と考えております。
          ではでは。


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          「それを作れば、彼が来る」”シューレス”ジョーのフィギュア

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            本日ご紹介するのは、1999年に発売された"SOUTHLAND PLASTICS"のフィギュア。
            プラスチック・フィギュアとしては、私が所有するジー・ジャクソン、グレッグ・マダックス、トニー・グウィンの他に、ケン・グリフィーJr.が発売されました。
            また、同社はノーラン・ライアン、ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグ、クリスティー・マシューソン、ホーナス・ワーグナー、ミッキー・マントル、ロベルト・クレメンテ、タイ・カッブ、ウォルター・ジョンソンのブロンズ製フィギュアも製作

            こちらのブロンズ製は高価な上に着色もしていないし(ブロンズ像なんで当然だね)、何より非常に重いため、コレクターとしての食指は伸びずじまい。

            この"SOUTHLAND PLASTICS"は、現在でも大変人気のある1960年に発売された"HARTLAND PLASTICS"の造形師が原型を作ってたんじゃなかったかな。
            "HARTLAND PLASTICS"の頃は形態の省略の仕方など、非常に雰囲気の良い仕上がりだったのですが、約40年後に制作したこの作品は、顔に削り跡も残るちょっと残念な仕上がりとなりました。


            で、こちらが”シューレス”ジョー・ジャクソンのフィギュア。
            多くのファンに愛されながらも、1919年に起きた八百長事件「ブラック・ソックス事件」に関わったとして永久追放された外野手であります。


             


            もちろん、背番号のない時代であります。



            100年前の選手ということで、なかなか”シューレス”ジョーのコレクション・アイテムは出ないのですが、印刷物ではなく、このようにフィギュアとして手元にあるというのは、オールド・ベースボール好きにはたまらない喜びなのであります。



            そして先日野球殿堂入りした”精密機械”グレッグ・マダックス。

             


            直筆サインはほとんど消えてしまっています……。



            そして、2007年に野球殿堂入りした”安打製造機”トニー・グウィン。

             


            こちらのサインも消えかかってる……。
            陽には当たってないはずなんだが。このプラスチック素材とインクの相性が良くなかったようですね。
            非常に残念。



            というわけで、今回は"SOUTHLAND PLASTICS"のフィギュアをご紹介しました。
            次回からは、1960年製の元祖プラスチック・フィギュア、"HARTLAND PLASTICS"をご紹介していきます。


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            【Gartlan Figure 9】ジョー・ディマジオ

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              ジョー・ディマジオ(Joe DiMaggio)
              1914年生まれ
              ニューヨーク・ヤンキース(1936〜'42年、'46〜'51年)
              1955年、アメリカ野球殿堂入り
              1999年没(84歳)



              愛称はヤンキー・クリッパー(Yankee Clipper)、ジョルティン・ジョー(Joltin' Joe)。
              MVPは3回獲得、首位打者2回、本塁打王2回、打点王2回。
              通算13年で2214安打、361本塁打、1537打点、終身打率は.325。
              ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグ後のヤンキース・ヒーロー。英雄であります。

              兄の三男・ビンス、弟の5男・ドムもメジャー・リーガーとなり、1940、’41,’42、’46年には、三兄弟揃ってメジャー・リーグでプレーした。

              引退後はマリリン・モンローと結婚。



              ディマジオといえば、燦然と輝く56試合連続安打という不滅の大記録抜きには語れません。
              世界が戦争へと向かっていく1941年、5月15日の対ホワイトソックス戦で、初回に回ってきた第1打席で、左腕のエドガー・スミスからセンター前にヒットを放ち、セカンドランナーのフィル・リズトーを迎え入れた。
              この日から記録が途絶える7月17日対インディアンス戦までの2ヶ月間ヒットを打ち続け、ニュース・アナウンサーは、ヨーロッパでの戦争を伝えた後、必ずこう付け加えたという。
              「なお、ジョー・ディマジオは本日もヒットを放ち、ストリークを……」。
              この56試合で、ディマジオは223打席に立ち、91安打、15本塁打を放った。この間の打率は.408、長打率は.717と打ちまくった。

              実はディマジオ、3Aサンフランシスコ・シールズ時代の'33年に、61試合連続安打というとてつもない記録を残している。凄すぎます。



              作家アーネスト・ヘミングウェーの名作『老人と海』で、カジキマグロとの死闘を続ける老人が語るこんなセリフがある。
              「彼はメジャー・リーグのことを考えた。彼は思い出す。今日はニュヨーク・ヤンキースとデトロイト・タイガースの試合が行われているはずだ。“大ディマジオ”は踵のケガをかかえているのに、それをこらえて最後まで勝負をやり抜く男だ。俺だって負けちゃいられねぇ。」

              また、映画『卒業』の挿入歌としてサイモン&ガーファンクルが歌った『ミセス・ロビンソン』には、
              「ジョー・ディマジオ、君はどこに行ってしまったんだ。国中が君にさびしい目を向ける。
              ジョルティン・ジョーはもう行ってしまってここにはいない。」
              という歌詞が登場する。
              ディマジオ他界後、ヤンキースタジアムで行われたディマジオの額の除幕式で、ポール・サイモンがこの歌を歌った。



              '51年、全米オールスターチームの中心選手として、最初で最後の日本でのプレーを披露した。
              11月10日の対全セ・リーグ戦で、杉下(中日)から本塁打を放ったが、試合後に「すぐに帰国せよ」との電報が。翌日に戻ったニューヨークで解雇通告を受けたため、この日本で放ったアーチが生涯最後の本塁打となった。

              というわけで、本日はガートラン・フィギュアからジョー・ディマジオをご紹介しました。




              【Gartlan Figure 8】テッド・ウィリアムズ

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                テッド・ウィリアムズ(Ted Williams)
                1918年生まれ
                ボストン・レッドソックス(1939〜’42年、’46〜’60年)
                1966年アメリカ野球殿堂入り
                2002年没(83歳)



                首位打者6回、本塁打王4回、打点王4回、MVP2回に2度の三冠王。通算出塁率.482は歴代最高、OPS(出塁率+長打率)1.116はベーブ・ルースに次ぐ歴代2位。そして現時点で最後の4割打者。
                彼こそがセオドア・サミュエル “テッド” ウィリアムズ、「打撃の神様」と呼ばれた男であります。



                引っ張り専門の強打者ウィリアムズを何とか封じようと、インディアンスのプレーイングマネージャーだったルー・ブードローが、一、二塁間に内野手3人を配し、三遊間は三塁手ひとりという極端なシフトを敷いたのが「ブードロー・シフト」。1946年のことです。それから18年後の’64年、遠く離れた日本で、「王シフト」としてこの守備体系は見事復活するのであります。



                気難しい性格で、ヤジをとばしたファンに対してツバを吐きかけたり、メディアに対してもケンカ腰だったというウィリアムズ。やはり記者には好かれていなかったようで、'41年には打率4割を打ちながらも、MVPはその年56試合連続安打記録を作ったヤンキースの人気者ジョー・ディマジオに。翌’42年は三冠王に輝きながらヤンキースのジョー・ゴードンにMVPを奪われ、’47年には2度目の三冠王となるも、MVPの栄冠は1票差でまたもやディマジオに。
                それでも'46年と、’49年と2度獲得してるんだから、この時ばかりは記者たちの好き嫌いでは判断できないほどの活躍だったんだろうな。



                驚異的な動体視力で知られたウィリアムズ。回転している78回転SPレコードのラベルの小さい文字が読めたという。その動体視力を活かして第二次世界大戦、朝鮮戦争では空軍の名戦闘機乗りとして戦地の空を飛んでいた。
                あと、記憶力も驚異的で、7706打席全てを記憶していたらしい。そんなことできるんだろうか? 恐るべし「打撃の神様」!


                というわけで、本日はガートラン・フィギュアからテッド・ウィリアムズをご紹介しました。

                【Gartlan Figure 7】ダリル・ストロベリー

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                  ダリル・ストロベリー(Darryl Strawberry)
                  1962年生まれ
                  ニューヨーク・メッツ(1983〜’90年)/ロサンゼルス・ドジャース(’91〜’93年)/サンフランシスコ・ジャイアンツ(’94年)/ニューヨーク・ヤンキース(’95〜’99年)



                  ダリル・ストロベリー、20歳代であった’80年代は確かにニューヨークのヒーローでありました。しかし、’80年代後半からストロベリーは数々の問題を起こすこととなります。
                  女性問題を起こし、勝手に試合を休み行方不明になり、多額の申告漏れで起訴され、コカイン陽性反応で出場停止になり、女性警官のおとり捜査に引っかかり、再びコカイン陽性反応……。
                  その後、癌で腎臓移植手術を受け、その痛みを和らげる鎮痛剤を飲んで車を運転、意識を失い車に衝突。
                  ここまで問題の多い野球選手はそうそういませんよ。あ、同じチームの同年代、ドワイト・グッデンがいたか。



                  色々と問題の多かったストロベリーですが、1983年はシーズン途中にメジャー昇格すると26本塁打74打点を挙げ新人王に輝いております。
                  その後9年連続20本以上の本塁打を放ち、100打点以上も3回、’86年には39本塁打36盗塁で「The 30-30 Club」の仲間入り、’88年は39本塁打で本塁打王、ここら辺までは、さすが高校時代「黒いテッド・ウィリアムス」と言われただけのことはある活躍ぶりでありました。



                  今から15年ほど前ニューヨークに行ったときのこと、着いたその日は野球観戦の予定はなく、スポーツバーでテレビ観戦しようと店に入ると、なんとヤンキースの先発がドワイト・グッデンではありませんか。試合は中盤にさしかかろうとしておりましたが、居ても立ってもいられず地下鉄に乗りヤンキースタジアムへ。
                  試合中のブロンクスは歩いている人などおらず、アメリカ映画なら必ずここで銃声が響くよな、という雰囲気の中、これまたいかにも危なそうな巨漢ブラックのお兄さまからチケットを購入しスタジアム内へ。
                  試合はすでに終盤でヤンキースのチャンス。そのときスタジアム中のヤンキースファンが総立ちで熱狂するではありませんか。ベンチを見るとウェイティングサークルにストロベリーが登場! しかし、前の打者が倒れ惜しくも打順は回ってこなかったが、ストロベリーの人気が健在だったことに身体が震えたのを思い出します。


                  台座はイチゴ型です(笑)。

                  というわけで、本日はガートラン・フィギュアのダリル・ストロベリーをご紹介しました。

                  【Gartlan Figure 6】ピート・ローズ

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                    ピート・ローズ(Peta Rose)
                    1941年生まれ
                    シンシナチ・レッズ(1963~’78年)/フィラデルフィア・フィリーズ(’79~’83年)/モントリオール・エクスポス(’84年)/シンシナチ・レッズ(’84~’86年)



                    通算3562試合出場、4256安打、5929出塁、3215本の単打、シーズン200本安打が10回……。これらの記録はいずれもメジャー記録。この希代のヒットメーカー、「チャーリー・ハッスル」ことピート・ローズは現在、1989年レッズの監督在任中に野球賭博に関わったとして永久追放処分を受けている。



                    ’60年レッズ入団、’63年にメジャーデビューを果たし新人王獲得。
                    空を飛ぶようなヘッドスライディングに代表される、攻守でのキビキビしたハッスルプレーで魅了した。’70年代には「ビッグレッドマシン」の中核として、’70〜’78年の間に地区優勝6回、リーグ優勝4回、ワールドチャンピオン2回に輝く。
                    守っては一塁、二塁、三塁、左翼、右翼でそれぞれ500試合以上出場し、オールスターでも5つのポジションを守った唯一のプレイヤーであった。



                    引退しレッズの監督専任になった頃からローズに暗い影が忍び寄る。
                    以前からギャンブル狂いは有名だったらしいが、野球賭博に関わり、しかも自分のチームに賭けていた容疑が表面化し大問題となった。
                    結局’89年8月24日、球界からの永久追放の決定が発表された。

                    ’70~’80年代のメジャーリーグを楽しんでいた私たちの世代は、誰もが驚き、落胆し、悲しんだ出来事でありました。



                    日本では’78年にレッズの一員として来日し人気を集め、’81年には東洋水産のカップめん「激めん」のCMに出て、この当時日本で最も有名なメジャーリーガーとなった。

                    このガートラン社のフィギュアはまだ疑惑が掛けられる以前のの引退の1年前、’85年製であります。

                    【Gartlan Figure 5】マイク・シュミット

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                      マイク・シュミット(Mike Schmidt)
                      1949年生まれ
                      フィラデルフィア・フィリーズ(1972~’89年)
                      1995年アメリカ野球殿堂入り



                      シュミットは現役18年間をフィラデルフィア・フィリーズで全うし、引退後も傘下のマイナーで監督をする、まさしくフランチャイズ・ヒーロー!
                      三塁手として歴代最多の通算548本塁打、MVP3回、本塁打王8回、打点王4回の’70~’80年代を代表するスラッガー。ゴールドグラブ賞も10回獲得しており、オールセンチュリーチーム(歴代ベストナイン)の三塁手に選ばれています。



                      ’88年シーズン終了後、痛めていた右肩の手術を行い、翌’89年も現役選手として開幕したが、5月29日涙の引退会見を行った。
                      しかし、引退発表後にもかかわらずその年のオールスターファン投票で票は延び続け、ナ・リーグ三塁手トップの票を集め、前代未聞の引退選手のオールスター選出となった。オールスター当日プレーはできなかったが、アナハイム球場でシュミットの名がアナウンスされ、スタジアムはスタンディング・オベーションに包まれた。後に’80年代最高選手「プレーヤー・オブ・ザ・ディケイド」に選ばれたシュミットを物語るエピソードであります。



                      引退発表の翌’90年、フィリーズはシュミットの背番号「20」を永久欠番に。’95年には資格取得初年度でアメリカ野球殿堂入りを果たしている。
                      ’80年代、シュミットとオジー・スミスは私の最も好きなプレーヤーでありました。



                      というわけで、本日はガートラン・フィギュアの中から、フィリーズのマイク・シュミットでした。


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